この事件から間もなく、七洋商事は、ついにベイルート駐在員事務所の閉鎖を決断することになる。

レバノン内戦は単純な理由で起きているわけではないから、終わる見込みが立たないとの多方面の予測に基づいたものだ。

そして新たに中東北アフリカを管轄する総支配人をエジプトのカイロに置くことになったのである。

この内戦は勃発から十五年後の一九九〇年に、クリスチャンとムスリムの国会議員比率、閣僚比率を平等にすることが決定されるまで続くことになった。

一応内戦終結とはなったものの、中東における宗教、領土、人種的な問題は二十一世紀の今でも何一つ解決されておらず、火種は残ったままである。

特に宗教については、
『宗教とは人類同士を区別し差別し戦わせるために人間が作った、もっともらしい理屈』と高倉は定義する。崇高な理念とは程遠いのではないか。

そしてそれらの宗教間の媒体となって暗躍しているのが、死の商人と呼ばれる『武器商人』である。

商人たちは形勢不利な側に兵器を持ち込み、叱咤激励して逆襲させる。そのあと今度は、逆に劣勢となった側に武器を持ち込み、再び優位に立たせる。

双方の武器の保有に縮小均衡はありえない。常に拡大均衡のシーソーゲームを演出しながら、武器商人は陰でほくそ笑んでいる。

泣くのは、いつももっともらしい大義名分で戦いにかり出され、死んで行く兵士たちやその家族、そして市民だ。

『差別』というのは『区別』からはじまる。区別するネタは宗教に限らず何でも良い。肌の色、性別、部族、地域、国、等々で区別する。そしてそこから居住地、職業、婚姻、学問等の自由を奪う差別が起きる。その結果争いが起きる。どんなに法で規制しても一掃するのは無理だ。何故ならばそれは人間の業だからだ。

三十年前のベイルートでの体験は、その後の高倉の考え方の根本を形成し、業務遂行のみならず、生き方の基本スタンスとなった。