人種差別撤廃は、スタートラインに過ぎない――。
黒人の地位向上に腐心する2000年代の南アフリカ。人材の多様化と成長への隘路に挑む、ある商社員の物語。総合商社に勤める高倉は、子会社であるマキシマ社の再建を担い、社長として南アフリカに赴任する。人種隔離政策(アパルトヘイト)廃止から十年。そこで目の当たりにしたのは、格差と人種差別のない理想の社会の実現には程遠い現実。業績回復途上の会社に突きつけられる政府からの命題。それは、私企業に黒人の資本参加や管理職登用などを事実上義務付けるものであった。
2019年ラグビーW杯優勝国・南アフリカの葛藤から世界のリアルを描く、社会派ビジネス小説を連載にてお届けします。
一
強盗泥棒対策のために高圧電線を張りめぐらせた高い塀が外界との関係を遮断している。塀の向こうには、すぐ近くのタウンシップと呼ばれる黒人居住区の住民たちが行き交い、その頭部だけが見える。白い歯が、肌の色とのコントラストで鮮やかに輝く。白人や日本人らしい姿を見かけることはない。
高倉譲二はオフィスの窓からじっとその光景を眺め、
この人たち、この国、この会社の将来はどうなるのだろう?との思いにふけっていた。
彼は日本の総合商社、七洋商事の物資本部から南アフリカ子会社であるマキシマ株式会社の社長として二〇〇四年に派遣され、約一年が経過している。
突然、秘書のアンネマリーが社長室に飛び込んできて叫んだ。
「ミスター・タカクラ、パニックボタン(非常用ボタン)を押して下さい」
また何か事故か事件が起きたな、と思いながら、とにかく彼の執務机の下に隠すように取り付けてある非常ボタンを押した。これは契約している警備会社につながっており、すぐにガードマンが来る。
アンネマリーは彼がパニックボタンを押したのを確認すると、事態を説明した。
「倉庫のチーフが武装強盗に襲われて撃たれたらしいのです。まだ詳しいことは不明です」
このオフィスの裏手に社有の倉庫があるが、そこが強盗に襲われたようだ。倉庫の中には会社の取り扱い商品であるタイヤやホイールがびっしりと保管されている。
在庫商品を狙った武装強盗に襲われたことは何度かある。従業員には絶対に抵抗してはいけな いと通達してあるが、チーフが襲われたということは抵抗したのだろうか? 相手は拳銃だろうか? もしマシンガンだったらひとたまりもないが……。
心配する高倉に三十年前の『あの時』の恐怖の体験が蘇ってきた。
【主な登場人物】
高倉譲二 マキシマ株式会社社長 七洋商事より派遣
アンネマリー 同社社長秘書
アンドルー・レクレア 同社カンパニー・セクレタリーのちに社長室長
ピート・ダン 同社倉庫係のちにケープタウン店長補佐
秋山峰雄 同社社長室長 七洋商事より派遣のちに経理財務ダイレクター
斉藤和夫 同社技術ダイレクター ニホンタイヤより派遣
シェーン・ネッスル 同社周辺国担当マネージャー
ケニー・ブライアント 同社前社長
ロッド・モーロー 同社管理担当取締役
トニー・コッペル 同社経理マネージャー ジンバブエ撤退担当
バート・グッドマン 同社販売担当副社長
ピーター・マステン 同社株主ポート・エリザベス在住
ザリレイ・マゲス 同社新株主代表 マゲス・エンジニアリング社社長
ジャンポール・ゲタン 同社ケープタウン店長
ポロ・マルハン ブラック・グリップ社(BG社)社長
ピーター・コナー ブリット銀行CEO
クバネ氏 ジンバブエ元外交官 現ANCメンバー
佐々木氏 TM銀行駐在員事務所所長
山川取締役 七洋商事東京本店
亀川常務執行役員 七洋商事東京本店
鈴本専務執行役員 七洋商事東京本店
風間部長 七洋商事物資本部
高倉洋子 譲二の妻
【前書き】
本作品内に差別的な発言や表現がありますが、二〇〇〇年代の南アフリカを舞台にした作品のテーマを損なわないようにしたものであり、差別意識を助長させようとするものではありません。