「これで用はすんだ。では、参ろう」
門外で待っていた少女に言った。

「あ、あの……叙達(シュター)さま」
「なんだ」

「……たすけていただいて、本当に、ほんとうに、ありがとうございました。御礼申しおくれたこと、重ねがさね、お詫び申し上げます」

少女は、頭を下げたまま、動かなかった。なりたて一年目の宦官であるから、あちらこちらで頭を下げることはあっても、人から頭を下げられることは、ついぞなく、しばらく、ぽかんと少女のお辞儀を見ていた。

「もう、よい。頭を上げなさい」

彼女は、ようやく緊張のほどけた、あどけない顔をみせた。

「どうして、わしに、ついて来る気になったのだ?」
「その……きっと、信用できる方だと思いまして」

「どこから来たのだ? あの商人は、出身は杭州だと言っていたが……」
「ちがいます。福建(フージェン)です。あの人の言っていたことは、ぜんぶ、でたらめです」

「すると、祖父の代に没落したというのは」
「それも噓です。わたくしは、福建(フージェン)三明知府につとめる、曹察(ツァオチャー)の娘です」

「そうか……そなたは、進士(しんし)の娘御であったか」

進士、すなわち上級役人になるのは、大変なことなのだ。四書五経と、膨大な注釈書群を読破し、暗記し、科挙(かきょ)に通らなければ、なれるものではない。しかし、この子の父親なら、進士というにふさわしい人物であろうと思われた。

「ならば、父君もさぞやご心配であろう。福建(フージェン)から、はるばる北京まで連れてこられたのか?」
「ちがいます。わたくしは、正月、父とともに、厳嵩(イエンソン)様に招かれたのです」
「なに?」

厳嵩(イエンソン)邸で見た、華麗な舞いが、脳裡によみがえった。

「南京礼部尚書の、厳嵩(イエンソン)殿か?」
「はい」
「そなたの名は?」
「曹洛瑩(ツァオルオイン)です」

私は絶句した。

正月、なみいる聴衆を前にして、見事な歌とおどりをみせた江南一の舞姫が、こともあろうに、人をさらっては売り飛ばす、もっとも卑劣なる男に拐(かどわ)かされ、いま、ぼろをまとって、目の前にいるのだ。

名をきくまで、わからなかった。あのときは遠目だったし、化粧もしていたから、……そうか、素顔になると、こんなにあどけなかったのか。

「……わしは、そのとき、厳嵩(イエンソン)邸にいた。そして、そなたをみた。わしは、貧乏だったから、芸能のことは、なにもわからないけれども、あんなに素晴しい歌とおどりは、はじめて見た」

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。