序章 月光

令和元年九月十四日(土)の黄昏時である。

万葉集が出典の「……令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ……」から着想を得られ、この二〇一九年五月から、元号は「令和」となった。新元号になったこの年の中秋の名月を愛でようと、ここ京都の旧嵯峨御所大本山大覚寺に、多くの人々が集まっている。千二百年前の平安時代、嵯峨天皇が大沢池(おおさわのいけ)において、中秋の名月に舟を浮かべ、弘法大師空海をはじめとする文化人や貴族達と、月を愛でた事から始まる由緒ある「観月の夕べ」である。

この日は天気も良く、初秋の柔らかな風がそよいでいた。日暮れてはいるが、月が出るにはまだ間があった。三々五々集まった老若男女の人々は、みな思い思いに過ごし、月が出るのを今か今かと待っていた。

五大堂の観月台にあるお茶席で茶を喫する人や、心経宝塔前に並んでいる饅頭屋やたこ焼き屋などの模擬店で軽食を買い、あちこちに用意されている緋毛氈(ひもうせん)の敷かれた縁台に腰かけて食べている人や、一昨年に建立されたばかりの蓮華殿に入り、売店で土産物を買う人など、お祭りのような賑わいを見せていた。

とりわけ、この催しの呼び物である大沢池の舟の遊覧が五時から始まり、舟着き場では順番に舟に乗り込む人の列が見られた。舟は二隻あり、架空の動物である龍の頭を象って船首に付けた龍頭舟と、これも架空の鳥である鷁(げき)の首を象って船首に付けた鷁首(げきす)舟で、この二隻が交互に客を乗せて、池をゆっくりと回遊して、帰って来てはまた客を乗せて出て行き、遊覧を繰り返している。この龍と鷁を冠する二種の舟は、よく水を渡って溺れない龍と、よく翔けて風浪に耐える鷁という、伝説上の鳥獣を船首に付けて、水上の安泰を願ったものであるが、観月の遊覧では、ことに水上で異世界を楽しむための演出となっている。

舟は二十四人でいっぱいになり、次の舟を待つ事になる。舟には先頭に一人、船尾に二人の若い僧が立っており、日本最古の人工池の底は浅いとみえ、長い竹の棒を持ち、池の底を押して漕ぎ進んで行く。

岸辺を行き交う人々は、今日が特別な夕べとばかりに、みな胸弾ませて喜々とした様子である。 そんな中、彼は一人、ふさぐ心を抱えて、ぽつねんと立ち止まっていた。

時が経ち、いよいよ夕闇が迫ってきた六時半、池に張り出した特設舞台に、緋袴(ひばかま)に白い千早(ちはや)を着た女性三人がしずしずと現れた。その光景は、誰もを、まるで平安時代にタイムスリップしたかのような気持ちにさせ、それまで賑やかだった境内のざわめきが静まった。人々と同じように、彼も舞台に目をやった。舞台に、山のように餅を積んだ高坏(たかつき)が供えられ、その横に大きな花器が置かれ、アナウンスが流れた。

「ここ大覚寺は、平安の昔、嵯峨天皇様の御所でした。自然を愛する嵯峨天皇様は、この大沢池の菊ヶ島(きくがしま)に咲く菊を手折られ、瓶(へい)に挿されました。その姿が自ずと天・地・人の三才の美しい姿を備えていた事から、後世花を生くるものは宜しく之を以て範とすべし、と仰せになられました。

この嵯峨天皇様の花を慈しまれる御心を受け、これを始まりとし、ここ大覚寺は、いけばな発祥の地であり、いけばな嵯峨御流(さがごりゅう)は千二百年、脈々と受け継がれています。今宵、令和元年の中秋の名月に、嵯峨御流の荘厳華(しょうごんか )を、月に献じたいと思います」

どこにあるのか、スピーカーから、ドビュッシーの「月の光」が聴こえてきて、幽玄なムードが醸し出された。舞台の女性らは、静かな動きで大きな花器に、ススキを真っすぐに生け、大輪の菊の花を五輪、厳かにバランス良く生けた。生け終わると、女性らはまた、しずしずと舞台から岸辺へ戻り、スピーカーから流れていた曲も終わった。

その時、池の向こう岸の木々の上に、オレンジ色の強い光が小さく覗き、人々からどよめきが あがった。月が昇ってきたのだ。人々はかたずをのんで、月が姿を現すのを待った。ゆっくり、ゆっくりと、オレンジ色の光は木々をぬけ、空にあがっていき、ようよう煌々と輝きを放つ丸い月が、その全貌を現した。人々は歓声をあげた。この日は本当の十五夜で、美しい満月だった。

「綺麗!」
「凄い!」
「令月だね!」

月の美しさを褒めそやす人々の声が重なり合った。

「Oh, …… it's beautiful!」と、外国人の観光客も歓声をあげた。

彼は、それまで空しい想いでいたが、大きく空にあがった満月を見て、胸が高鳴った。この月に逢うために来たのだ。彼は、舞台に献じられた花を見、空の満月を見、胸に去来する想いに圧倒され、激しいめまいを覚え、倒れそうになった。慎重にゆっくりと歩き、岸辺のベンチを見つけ、やっと腰をおろした。

あたりは段々と暗くなり、やがて夜のとばりに包まれた。雲一つない晴天の空に、満月は高く高くあがっていった。空高く昇るにつれ、昇ってきた時のオレンジ色から、月はその色を変化させ、今や純白の清らかな輝きを放っていた。人々は、あちこちでスマホを掲げ、月を撮ろうとしているが、上手く写らないと口々に騒いで いる。

「『月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月』よね!」と若い女が言った。
「それよりも、『あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月』だよ!

これは明恵上人(みょうえしょうにん)の歌で、明るいな、本当に本当に明るい月だな、っていう意味だよ」と、連れの男が言った。二人は手をつないで、微笑み合って歩いて行った。

ここにいる誰もが、令和元年の令月を感慨深く眺め、興奮し、幸せに酔っていた。

「ママ! 見て! 金色の蝶々が飛んでる!」
「えっ? どこ? どこにもいないじゃない。坊や、何言ってるの」
「ほら! あんなに光って綺麗だよ!」
「もう秋よ。蝶々なんて、いるわけないでしょ」

そう言って、親子が彼の前を通り過ぎて行った。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『追憶の光』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。