考察・選手

9 永田裕志はMMA(総合格闘技)に挑戦したことが男だ!

2019年5月26日(日)

永田裕志で思い出すのは、2001年12月31日、大晦日「INOKI BOM‒BA‒YE 2001」、ミルコ・クロコップ戦。2003年12月31日、大晦日「INOKI BOM‒BA‒YE 2003 馬鹿になれ夢をもて」、エメリヤー・エンコ・ヒョードル戦である。両方とも、MMA(ミックスド・マーシャル・アーツ/総合格闘技)ルールだ。

ミルコ戦は、ミルコのいきなりの左ハイキックでダウンして、状況が掴めないような表情をして負けてしまった。

ヒョードル戦は、組んだ時、足を掴んでローリングしようとしていたが、ヒョードルは倒れなかった。ここはプロレスとMMAの違う所。最後は、後ろからボコボコ!に殴られたが、あの時は後ろを向いてしまい、レフェリーが止めて負けた。

2001年のミルコ戦の4日後、永田は、新日本プロレス、2002年1月4日、東京ドーム大会で、プロレスリングNOAHの秋山準と戦った。アマレス出身者同士が非常にスイングした試合で、いわば一流の“欠点がない試合”だったが、最後は、秋山が永田からリストクラッチ式エクスプロイダーで3カウントを奪い勝利した。

しかし、永田もNOAHのリングに乗り込み、秋山と勝負。お互い、前回と同じような試合ではインパクトがないと判断したのかはわからないが、永田が開始早々、右ハイキックを放つと、秋山が危険な状態で前のめりに倒れた。その秋山を無理やり起き上がらせて、こちらも、リストクラッチ式エクスプロイダーで永田が3カウントで勝利した。

新日本、2003年1月4日、東京ドーム大会では、IWGPヘビー級王者の(王者)永田裕志―(挑戦者)ジョシュ・バーネットの試合が行われた。

試合は、ジョシュが永田を面白いようにコントロールする試合だった。さすがUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップというMMA団体)の戦士だったので、打撃もグラウンドもジョシュのペース。

しかし、グラウンドの攻防が続いた際、ジョシュの肩がつき、3カウントが入っていたという裁定が下された。試合を見れば、ジョシュの試合だったと言っていいが、ジョシュは永田に負けるアングル(シナリオ)を呑んだのだろう。勝敗は永田の勝ちだった。

あの時代は、プロレスはK―1(キックボクシングの団体)やPRIDE(MMAの団体)に押されていた時期でもあった。その戦犯として、当時のチャンピオン永田が批判を浴びたのでは気の毒だ。

今、プロレスとMMAは完全に分かれてしまっている。プロレスラーがMMAに挑戦することもなくなり、また、MMA戦士がプロレスのリングに上がることもなくなった。

たまに、MMAの選手が、プロレスルールでWWEのリングへ上がるケースはあるが。永田は一線を退いたが、あそこでMMAの対戦を引き受けたのは、私は男だと思う。

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『アイディア・プロレスコラムDX』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。