第3章 山心の発展期

【甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳】 報われた真夜中登山 〜1987年8月(50歳)~

最良のパートナーとともに

何か興味あることに夢中になっていると、いつの間にか相棒ができるものだ。久我さんと2年前に雲ノ平に行ってから、彼が私の「山の相棒」になったようだ。夏休みが近づいてきたころ、私が、「今年は南アルプスの甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳に行きませんか?」と声をかけると、久我さんは待っていたかのように、「いいですね!」と乗ってきた。

2日目。甲斐駒ヶ岳に登る。暗い雲と強い風。早朝、昨夜泊まった仙水小屋の前で主人が言う。

「小仙丈の上に雲がかかっているから、今日は天気良くないですよ」

そんな言葉を聞きながら、私は同行の24歳年下の久我さんと、仙水小屋を出発した。石ころ道を20分登ると、仙水峠に着いた。目の前に突然そそり立つような岩山。

「これが有名な摩利支天か……」
「霊気が漂うような不気味な山ですね」

石と砂の地肌を見せて高く聳える摩利支天。仙水峠から駒津峰までは展望の良い尾根の登りだったが、振り返ると山と山V字に切れた間に鳳凰山が姿を現し、その後ろに遠く小さく富士山が見えた。

右への巻道を進むとこんどは北岳、間ノ岳と高い山並みが続く。さらに右に谷を隔てて、仙丈ヶ岳が近い感じである。駒津峰の広場までは80分だった。

甲斐駒をバックに記念写真を撮り合う。西のほうには赤茶色の山肌をした鋸岳が大きい。南のほうを見下ろせば双子山から昨日バスを降りた北沢峠への道がはっきり見えた。

大きな岩が積み重なった六方石から再び岩と石の急登が始まった。目の前を霧が飛ぶように流れていく。2967メートルの甲斐駒ヶ岳の頂上に着いたのは、午前8時だった。仙水小屋から2時間半。

「意外に簡単だったね」と私が久我さんに言うと、隣にいた知らない人が、「でもやっぱり、黒戸尾根コースの9時間登りをやらないと、ご利益が少ないそうですよ」と声をかけてきた。

「……」

鳳凰山の上に、富士山が流れる霧のなかに見え隠れする。

「今度はオベリスクを登ってみたいですね」 と久我さん。一度見ると登行意欲の湧いてくる山がある。オベリスクがその一つに入った。オベリスクとは自然がつくり出した石の柱のようになった地形のことで、地蔵岳にあるのが有名だ。

[写真1]甲斐駒ヶ岳への途中

登山の魅力の一つは、この先どんな展望があるか期待しながら汗を流すところにある。だから縦走登山が良い。しかし、登って行くときと頂上展望で楽しみは「終わり」。

下山のときは逆に、この先どうなっているかがわかり、時間の計算もできるピストン登山も悪くない。事故にあったときや悪天候のときは言うまでもない。

仙水峠まで下りてきて再び摩利支天の顔を見上げると、たった7時間前にここを出発するときには、甲斐駒ヶ岳は未知な山で他人みたいだったのに、頂上を踏んで来たいまは、知人のように親しみを感じる。山の地べたに自分の足跡を残し、土に自分の汗を落としてきたからだろうか。

午後3時少し前、今夜の宿の大平小屋に着く。周りには畑がいっぱいある。山小屋経営者も普段は農業をやっているのだろう。まだ早いので宿泊申込み者は5人しかいなかった。

私と久我さんが部屋で疲れた体を横にして休んでいると、小屋のおばさんがトウモロコシの茹でたの を籠に入れて持ってきた。

「いま、畑で採ってきたばかりだけど、1本どうですか?」
「いくらですか?」
「いいですよ、お金なんか」

おばさんに笑われてしまった。トウモロコシをかじる。口のなかに豊かな甘い汁がじゅわーっと広がった。いくら畑にいっぱいあるとはいえ、タダというのはありがたい。小屋のおばさん、好き!

トウモロコシを食べ終えると明日のことを考えた。山の天気は変わりやすい。良いのはせいぜい朝のうちくらいだ。そんなことを今日、甲斐駒ヶ岳で教えられた。

「明日は早く出発しようよ!」
と、夕食時に久我さんに話しかけた。写真好きの彼も今日の霧は残念だったようだ。

「起きられるかな?」
若い彼は自信なさそうに答えた。

仙水小屋は1泊2食4700円(北アルプスは5500円)。素泊まり2000円。寝具1000円。弁当800円だった。

※本記事は、2019年9月刊行の書籍『山心は紳士靴から始まった』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。