第二章 信仰 夏

─手を汚せ

信仰により彼は客体として存在している。そして、主体である神または天使の祝福を受けるために、彼は喜びとは一線を画する、言ってみれば誓約によって成立する最終地点を明らかに目指している。

それは何か?

言うまでもない、結婚である。

なぜ彼はまるで求道者のようにまたは登山家のように、たった一つしかない地点を目指すのか?

それはそこに彼しか知り得ない、そして彼にしか証明できない真実があるからだ。彼は手や指を動かすことに、一定のこだわりを持っている。手や指を動かすことでカスタマイズが進行する。カスタマイズは多様性を担保するので、カスタマイズを加えれば加えるほど彼は自由な発想を得る。

なるほど、ここを突き詰めた場合、そこに待っているのは究極のロマンティシズムであろう。そのため、どこかで現実と折り合いをつけなければならず、そこには彼もあまりうまく対応し切れていないようだ。

だが信仰という言葉からも容易に推察できるように、彼は普遍を知ることで、今この瞬間を永遠につなげることは可能だと考えているようだ。そしてそのための実践である。

畏れずに言えば、であるが、彼は平等をキーワードとする「平和、共存」ではなく、自由をキーワードとする「愛、住み分け」に軸足を置いている。だからこそ、排他的になるのであるが、個性とは存在のことであるという前提に立てば、ここはやはりどうしても譲れない一線でもある。

またこのように考えることによって、共通という概念で示されるべき範囲をかなり柔軟に設定することができる。僭越ながら、ここは重要な場面であろう。もし多様性が尊重されなければならないのであれば、日常のスピードも、個別の才能やまたは環境に応じて数種類のパターンに設定されなければならない。

そこでは「遅れる」や「(相手が)納得できるまで待つ」などが当然の如く考慮されるため、社会は二極化ではなく、むしろ中間層の流動化に傾くはずである。つまり、伸びていく人だけが得をする拡大型ではなく、流動性の確保による循環型が実現することとなる。