睦月 一月

5 A

その返(かへ)る年の正月(しゃうぐゎつ)、などて君雲隠れけむとて、せむ方なく思ひ嘆きて詠みし、◆賜(たま)ひしに せさせたまふを 綴りしは こひしうかぎり さば得てよとて

【現代語訳】

その明くる年の一月、「どうして中宮定子様はお隠れになったのでしょうか」と言って、清少納言が為す術も無く、嘆き悲しんで詠んだ歌は、

◆中宮定子様より賜りましたお帳面に、定子様が折々に触れてなさいました事を私が綴りましたのは、「それではそなたに差し上げます」と仰りました、今も恋しいばかりの中宮様のために、ただ一途(いちず)にそうしたのです。

【参考】

・長保二年(一〇〇〇年)十二月十六日、清少納言が仕えていた中宮定子が二十四歳の若さでお隠れになった時、歌詠みは当時していない清少納言はどんな心持ちだったのか、本書作者の創作。

・『枕草子』の切っ掛けとなった、「跋(ばつ)文」にある二人だけの象徴的なやりとりを題材にした。

・『枕草子』で、清少納言は中宮定子を「宮の御前(おんまへ)」と尊敬と敬愛の表現をしている。

◆彼女の定子への敬愛の念を表す、「せさせたまふ」=サ変動詞「す」の未然形「せ」+尊敬の助動詞「さす」の連用形「させ」+尊敬の補助動詞「たまふ」の連体形。この「させたまふ」は、二重敬語で最高待遇。清少納言の中宮定子を敬い慕う気持ちを表すために、和歌では通例用いない敬語で、敢えて表現した。

◆さば得てよとて、の後には「宣(のたま)はせけり」の尊敬表現を補う気持ち。