〈宇山祐介の事情〉 隠しポケット

2014年4月20日。

私(宇山祐介)が哲也の帰国を知ったのは、北海道の実家に住む母からの電話によってだった。

〈哲也君、帰ってきたみたいよ。祐介、あなた知ってた?〉

旅に出た哲也とはこまめに連絡を取り合っていたが、ここ最近返信がないことを心配していた矢先のことだったので、私は思わず声を失った。

〈哲也君のお母さんに昨日スーパーで偶然お会いしたんだけど、哲也君、帰国してそのまま札幌の病院に入院しているらしいわ〉

私は母にいろいろと尋ねたが、詳しいことはわからないと、困った様子だった。

状況がつかめず、このことを大谷に相談すると、「こっちのことはいいから行ってこい」と背中を押すように言ってくれた。

札幌にある哲也の実家を訪れたのはその2日後だった。

哲也の実家に上がるのは何年ぶりだろうか。少し白髪が増えた哲也の母は昔と変わらない様子で私を家に入れてくれた。昨日、急に電話をかけたにもかかわらず、電話に出た哲也の母に驚いた様子はなかった。どうやらそろそろ私から連絡が来る頃だと思っていたらしい。

昨年リフォームしたというリビングは変わっていたが、テレビ台の横のスタンドに立てかけられたギターに懐かしさを感じた。

「おじさんはまだギターを?」

「ええ、今も変わらずよ。この前も1本買ってきたんだから」

と言って部屋の奥にちらりと見える別のアコースティックギターに目を向けた。

そして昔と変わらない優しい笑みを浮かべながら、紅茶を入れてくれた。2階から現れた哲也の父は相変わらず口数が少なかったが、

「お互い歳をとったね」

と20年ぶりの再会に嬉しそうな顔をしてくれた。

なぜ私がここに来たかは電話で話していたため承知のはずだったが、本題をうまく切り出せないでいると、少し場の空気が悪くなったような気がした。

「それで……哲也のことなんですけど」

と話題を変えると二人は顔を見合わせて表情を少し変えた。

「わざわざ遠いところきてくれてありがとう、迷惑をかけたね」

哲也の父はそう言って悲しそうな顔を一瞬見せてから、哲也が2週間前に日本に帰国したことを教えてくれた。

日本の医師が言うところによると、慣れない環境が身体に負担をかけてしまったせいもあって、哲也の心臓はもうペースメーカーでは対処できないほど弱りきり、かなり深刻な状態だという。

そして、哲也に残された道は『心臓移植』しかないということだった。

ドナー待ちの登録は済ませたが、適合者が現れるまで少なくとも4、5年はかかること。海外だと適合者がもっと早く見つかる可能性はあるらしいが、その場合は3億円という想像を絶する費用がかかること。哲也の容体が安定して身体が回復し次第VADと呼ばれる人工の補助器を心臓に取りつける手術をすること。

哲也の父は落ち込んだ様子で淡々と息子の状況を説明した。

それから私は哲也に面会するため、入院している大学病院に向かった。普段は車を使って移動するのだが、この日はなんだか歩きたかった。

この街で生まれ、幼少期も10代もこの街でたっぷり過ごしたはずなのに、慣れ親しんだ道を歩くと、ふわふわしたぎこちない感触が足の裏から伝わってきた。感情が定まらないのが自分でもよくわかる。ゴールデンウィーク前にまとまった雪が降ったらしく、路肩には雪が少し残っていた。

札幌市内の大学病院に到着した私は、受付で面会の申請をしたあと、哲也の病室が別館にあることを知った。

「野崎哲也に面会なんですけど」

11階のナースステーションでそう尋ねると、テキパキした様子で看護師が病室を調べてくれた。病室に向かう途中、白い蛍光灯に照らされる長い廊下には誰も歩いておらず、自分のスリッパが床をたたく音がやたらと大きく聞こえた。慣れない無機質な空間のせいか、喉に渇きを感じた。

哲也の病室に到着し、おそるおそるなかに入ると、すぐにクリーム色のカーテンが現れた。

「哲也、入るぞ」

私はカラカラの喉から小さな声を絞り出すように言うと、そっとカーテンを開けた。

薄っぺらいカーテンがやけにずっしりと重たく感じた。目の前に大きめのベッドが現れ、

そのうえに横たわった哲也がいた。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『旅するギターと私の心臓』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。