この日の夜、私は福士をルンピニ公園にある屋台に案内して、チムチム鍋と呼ばれるバジルをたっぷり入れたタイ北部の伝統料理を紹介した。

観光客や地元の人で賑わうこの屋台は、デイジーが教えてくれた場所だった。私は彼女ともよくここに来ていた。

チムチム鍋というのは、卵が絡んだバジル風味のスープで煮込まれた鶏肉や野菜を、香辛料の効いたタレにつけて食べる料理である。少し風変わりだが、これがまたうまい。

外の気温は夕方になると少し落ち着くとはいえ、30度近い気温のなかで鍋料理を屋外で食べるというスタイルは、異様であった。屋台の煙に囲まれながら汗を垂れ流して食べる鍋料理に、私もはじめは慣れなかったが、不思議とクセになるこの味に引かれて何度もここへ足を運ぶようになっていた。

この鍋が気に入った様子の福士は、身体から吹き出す汗を補うように豪快にビールを喉に流し込んでいた。私は医師にアルコールの摂取は禁止されていたが、ここまで見せつけられると、飲まないという選択はかえって身体に毒な気がした。

結局、私は福士に勧められるままに1杯だけビールをオーダーした。この日、久しぶりに飲んだ安物のビールの味は格別だった。

そして私はビールを飲みながら、福士に質問をぶつけてみた。

「福士君、もし搬送する前に自分の判断が間違っていて、事態を悪化させるようなことがあったら……とか、そういうことは考えたことはある? 自分のミスが患者の死に直結する可能性もあるわけじゃない? そういうのって怖くないの?」

「うーん、恐怖は常にあります、ないといったらウソになるし……」

そう言って福士は隣にいた店員にビールの追加をお願いした。

「でも、失敗の定義って何ですかね?」

「えっ?」

私が急な質問に少し考え込むと、福士は箸を鍋に突っ込んでから話し始めた。

「失敗って、怒られることですか? 恥をかくことですか? 俺はそうじゃないと思うんです」

福士は鍋の火力を気にしながら言った。

「あとで後悔することです」

私の目をまっすぐ見ながら、福士は言った。

「最善を尽くせない場合もあります。間違った判断をしてしまうこともあるかもしれません。でも、“あのときもっとできたんじゃないか?”が一番怖いんです」

福士は何かを思い起こしながら話をしているようだった。

「今までも、これからもきっとそういう思いと向き合いながら、この仕事をすることになると思うんです。だから俺はそんな悔しい思いをしないように、いつでも全力で挑めるように準備しています」

彼は丸太のような腕に力こぶを作ってポンっと叩くと最後に笑って締めくくった。

その言葉には若くして説得力があった。おそらく自分が想像できないような状況に追い込まれたことがあるのだろうと私は察した。

「あの、テツヤさん、ちょっと聞いてもいいですか?」

「え?」

「実は気になってたんです。それ、ペースメーカーですよね?」

そう言って福士は私のシャツから除く手術跡を指さした。

「違っていたらすみません。さっきチラッと見えたときに気になって…。その傷跡って、よく現場で見かけることがあるんです。心停止の患者がいる現場では最初に確認するので、多分そうかなって」

私は手術跡を隠すようにシャツのボタンを留めながら頷いてみせた。

その夜、私は彼に自分の心臓のことを話した。

自分が悩みぬいた末に出した結論がこの旅にあることも話した。

何かあったときのために、このことを知っておいてほしかったわけではない。

もし今、この心臓が止まったとしても自分はこの旅に後悔はない。

私はそのことを彼に伝えた。