【前回の記事を読む】ALSの夫に、楽しみをもたせたい…。『原辰徳監督を囲む会』に参加するための準備計画【闘病記コンテスト大賞作】

筋萎縮性側索硬化症患者の介護記録――踏み切った在宅介護

命の片道切符

『読売ジャイアンツ原辰徳監督に会いに行こうツアー 二○一三 秋』

(三)待ちに待った許可下りる

『一朝事が起こった場合、受け入れてくれる病院があれば』という条件付きで、ALS専門主治医の山谷先生の許可がやっと下りました。思わずみんなでバンザーイ。晴れて本人への知らせとなりました。

ところが、どうも一番喜びそうな当人の表情がはっきりしません。初めのうちは、話の内容が飲み込めていない様子でした。

私は自分の身体の状態が自信がなくて、ためらっているのかと思いました。しかし娘がきちんと説明をすると、入れ歯を外した歯なしの口を大きく開けて、大きな目をクリクリさせて、いつもの昭四郎のニヤリが出ました。

ようし、これでこちらの準備は完了となりました。これは後日談となりますが、私のバッグには訪問主治医角川先生のお書きくださった夫の今までの病歴、療養の様子、服用中の薬、 等細かく記した『紹介状』が収まっておりました。

もしもの時には、この紹介状をお世話になる先生にお示しをして、ご指示を仰ぐということだったのです。

また、私自身も、入院と言うことになったらと言うことを想定して、その時は泊まり込んでの付き添いになるであろうから、一週間分の介護用品、着替え、前掛けなどの身の回り品などなどを詰め込んだバッグを用意しておりました。正に背水の陣です。

娘もALS協会の会合の折、地元広島市のみなさんからのALS患者対応の先生方の情報をしっかりいただき、病院選びの準備をしておりました。

 (四)『読売ジャイアンツ原辰徳監督に会 いに行こうツアー 二○一三秋』事前会議

標記の会議が訪問医の角川ホームクリニック会議室において開かれました。 角川先生、訪問看護師、管理者、谷山ケアマネジャー、家族として、私と娘、それに傍聴の看護学生の出席のもと、討議がなされました。家族側から提案事項を印刷した物を配り、それに沿って話が進められました。

まず乗り物ですが、当初は往復、車でということでしたが、この日が三連休の中日(なかび)であり、高速道路上での渋滞に巻き込まれた時は困るので、新幹線にしてはという案も出て来ました。 私と娘は、東名高速、首都高の何十キロという渋滞に何回も遭遇していますので、万が一の時は大変だと思い、それがネックとなっていました。