第一部 私と家族と車イス

成長か戸惑いか

破裂した。以前から嫌いだの、どっか行けだの、ボロカスに母に当たりながらも、序盤だったのだ。保育園児の次男と異なり、現実を大人のように捉えて感じとってしまっている長男は、破裂した。

学校でも、年末あたりまで担任のご厚意もあり、自分勝手に荒れるだけ荒れさせ、そっと放置してくれていた先生には感謝しかなかった。精神的に不安定な中で、無遅刻無欠席を貫いて心あらずの学校生活を必死にしてきた長男。

時が解決していったのか、私が神社にすがらなくなったからなのか、受傷から3ヵ月。担任から連絡が来た。

「お母さん、そろそろ締めていきますね〜彼はもう大丈夫だから」

ありがとう、先生。私がしなければいけない日常の関わりをカバーしてくれて長男を叱るタイミングを見計らってくれていた。

長男の心が安定するのを待つことを先生中心に学校が待ってくれたおかげで長男は、学校へ行かないとは、言わなかったのかもしれない。

彼なりの現実逃避は学校生活だった。時は味方でもなく敵でもなく、流れていく日々の中でどんどんと気持ちの中の葛藤を言葉にできるようになってきた長男。ただ、嫌い、大嫌いとは父親に言わなかった。

次男も長男よりも未熟ではあったけれど居なくなったわけではない父の存在を理解し、入院中は父が人工呼吸器や気管切開を閉じて声が出せるようになってからは父のベッドの隣でぎゅうぎゅう詰めになりながら父親と普段の会話をしていた。

嬉しそうにしたり喧嘩したり病室なのにリビングにいるようだった。長男はあまり隣に座ろうとせず、習いごとの報告や私への愚痴なんてものも父にやんや話して普段とあまり変わらない。

五人で過ごすことが実現に向かって、五人の気持ちは語り合わなくても、ゆっくりと引き寄せ合っている気がした。

たまたま最後の転院先にも友人がいたり、看護実習先でもあった病院でもあった。長男と面会者記名をしていると、声をかけてくださった看護師長、リハビリ科の理学療法士が、私を見るなり実習のときのまだ旧姓の時期の私を覚えていてくれていた。

お褒めの言葉だった。実習生時代のことを10数年経過して褒められる。その場にいた長男が、驚いていた。

看護師を辞めてしまった母に対して無念がる長男の表情が緩んだのを覚えている。それは頑張って良かった、報われたと一瞬だけでも思えた。

長男がどう感じたかわからないが、私が看護師だから誇らしく見えていたなら、第三者の発言はマイナスではなさそうな表情に思えて、長男が現実を少しずつ受け入れてくれているようにも感じた。

1年の長い入院生活。離れていて寂しかったなか、彼らも私も日常に目を向けるようになり、彼が帰宅するまで指折り数えて、2020年7月。ありがたいことに、夫が試験外泊で一時帰宅したのは私たちの10年目の結婚記念日。

有意義だった。言葉で表すと『思いやりの日』。

長男は車椅子を率先して押し、車椅子の隣を次男が陣取り、三男は夫の膝上におさまる。その数週間後に晴れて退院し、現在も五人で出かけると車椅子周囲のポジションは変わらない。ありがたい時間の流れだと捉えている。

挿絵(お父さんと三男窓越しでタッチ)