ベスト・オブ・プリンセス

父はシチューが苦手だ。それは父が幼い頃、家族で外食した際に食べたそれが大層不味いものだったからで、それ以降シチューを食べることを避けてきたそうだ。私にとっては母の料理はどれも美味しいものであったし、父が昔食べたものこそが例外だと考えているが、父は好き嫌いを克服しようとしなかった。そのため、シチューが我が家の食卓に並ぶのは、父が飲み会などで夕食を外で食べるときだけだった。

「お父さんは、お母さんのシチュー食べようとしたことあるの」

部屋着のスウェットに着替えてテレビを見つめる父の横顔に、少々の怒りと焦りを込めて投げかける。すると父はこちらを一瞥もせずに、たぶんない、と呟いた。

「それがなんだよ」

「お父さんのは好き嫌いじゃなくて、ただの食わず嫌いだよ」

「なんだそれ。俺はどのシチューも嫌いなんだよ」

「でもお母さんの作ったやつは美味しいかもしれないじゃん」

私の口調の強さに腹を立てたのか、ようやく父がこちらに顔を向ける。そこには今朝の機嫌の悪さを想起させるものがあった。

「『不味いかもしれない』って思いながら食べるほうが相手に失礼だろ。それで本当に不味かったらどうするんだよ」

「やめてやめて、変なことで喧嘩しないで」

ヒートアップする私と父の会話を、母の声が遮った。その手には、ソファにおざなりにされていたワイシャツとネクタイ、スラックスが握られていた。私はその光景に絶望しながらも小さな声で、ごめんなさい、と呟いた。

「美夏はさ、なんでそんな俺に反抗的なんだよ」

結局、その日の夕食としてダイニングテーブルに置かれたのは、二人分のシチューと父用に母が急いであり合わせで作った肉野菜炒めだった。

「朝だって俺のほうが早く出るんだし、大学生なんだから家事くらいやれよ」

先ほどの会話の怒りが尾を引いているのか、父の小言は食事中にも続いた。それに対して言いたいことは山ほどあったが、父の怒りを助長させることのほうが億劫に感じられたため、私は何も言い返さずに黙々と母の作ったシチューを啜った。