ベスト・オブ・プリンセス

父と母、学校の先生ほどしか大人を知らなかった当時の私にとって、ミユキさんは不可思議かつ魅力的な存在だった。旅行先で髪型を必ず変えてから帰るというポリシーがあり、数ヶ月に一度私の家に訪れるたびに髪型が違うものになっていた。

東南アジアの安い床屋に行った後は、日本ではなかなか見かけることのない完璧なアフロヘアになっており、それを見せながらミユキさんはケラケラと笑っていたが、不思議と彼女はそれさえも似合ってしまう人だった。
彼女は頭のてっぺんから爪先まで余すことなく自分自身に覆われており、それでいて場所の空気に馴染むことを極めて得意としているようだった。私はミユキさんのことを、理科の教科書で見かけた変温動物の類とたびたび重ね合わせた。

「九条さん、帰ってきたんだな」

ドイツか、いいなあ。
ミユキさんからの土産品であるソーセージのパックを見た父が、羨ましそうにそのパッケージをじとじと眺めた。

私が中学校に上がり、母がパートを始めるようになっても、ミユキさんとの交流は続いていた。

私は所属しているバスケットボール部での放課後練習と塾通いで帰宅時間が遅い日も多くなっていたが、どちらも休みの日を選んでミユキさんはやって来た。頻度こそは以前よりも低くなっていたが、ミユキさんは私にとって、学校の担任教師や隣家の初老夫婦、塾の大学院生講師などと比べても一番身近な大人だった。

彼女に対してそう思う心の根源にあったのは、好きか嫌いかの感情的な物差しで決まる存在証明ではなく、ましてや顔を合わせる時間の長さでもなかった。もっと動物的な嗅覚で感じる、言語化不可能な親近感だった。

彼女が今回行ったのはドイツで、ビールとソーセージが大層美味しかったと話していた。そして、ビールって苦いんじゃないの? と顔をしかめた私に、大人になったらわかるよ。とお茶目に笑った。

「あの人はいいよな、気楽そうで」

そうぼやきながら、父は発泡酒の栓を開けた。

「俺も海外旅行とかしたいよ」

なあ? と父が、ミユキさんがくれたソーセージを茹でる母に声を掛けると、それに母は、一瞬の間を置いた後に、そうね、と小さく返事をした。その声は、冷凍庫の奥底に連なる、霜の固まりのような冷たさを連想させた。

いつの間にか母はミユキさんのことを話さなくなり、ミユキさんはパタリと家に来なくなった。私は、母にその理由を尋ねようとはしなかった。