ベスト・オブ・プリンセス

母が失踪したことを告げる、電話口から聞こえてくる父の声は、恐怖と焦燥に満たされていた。私が実家を出てから二年三ヶ月後、その日の天気は数日連続の雨で、七月に入って半ばを過ぎても梅雨を引きずったような、嫌な雨の降り方だった。

大学を卒業後、私は例のデザイン事務所にそのまま就職していた。最初の一年、もしくは数年は非正規採用になるかと覚悟していたが、大学四年時のアルバイト中の勤務態度が認められ、晴れてそのまま新卒で正社員として入社することができた。

慎二とはあの出来事の三日後に私のスマートフォンが受信した、別れて欲しい、というメッセージを以って関係が途切れており、それから約三年半経った今も、私に恋人はいなかった。

私と慎二が別れたことは、広いようで狭い大学の構内に知れ渡っていた。私はどのサークルにも入っておらず、加えて元来の人見知りの性格から、大学内でも数人の友人しかいなかったが、それとは真逆に慎二は彼の家柄のプロフィールやサークルなどで見せるフットワークの軽さから、良い意味でも悪い意味でも有名人だった。

付き合っていた頃は、恋人ゆえに見えてしまう欠点だと思っていたが、実はそれを感じ取っていた人間は昔から少なくなかったようだった。しかしながら、人当たりの良さと、女子を相手にしたときのみ現れる優しい言動を遺憾なく発揮したのか、私と別れてから二ヶ月も経たないうちに、新しい彼女ができていた。

相手はどうやら彼より二学年下の、同じサークルの後輩で、卒業コンパの席で意気投合し、そのまま付き合ったという流れだったということを人づてに聞いた。

当時の私の中には、失恋そのものへの感傷こそはあったものの、慎二への関心は日毎に薄くなっていたが、学生食堂ですれ違った慎二の彼女らしき女性は、私の顔を数秒見つめた後、私から少し離れた席に座り、友人たちに囲まれながら、永久就職バンザイってかんじ、と息を弾ませていた。

その光景を見た瞬間、彼が本当に欲しかったのはあのような無邪気さと従順さ、狡猾さを表に出さないいわゆる奥ゆかしさと呼ばれるものなのだろうなと思った。

社会人になるタイミングで、神奈川県内にある実家を出て都内で生活すると事前に決めていた。そのために、学生時代のアルバイト代はほとんど引っ越しのための貯蓄に回していたのだが、いざ物件を決めるとなると、都内での二十代女性の一人暮らしに適当な物件を見付けることは相当困難なことだった。