ベスト・オブ・プリンセス

私は両親と電話やメッセージでの連絡を密に取っていたわけではない。そのため、ふたりの近況について深い理解があったとは言えない。私は、父への長年の疑念を爆発させるには、今しかないと感じた。

「同じ家にいて、何年間も一緒にいて、どうして気が付かなかったの!」

「違うんだよ、いつも同じような時間に出かけるから、てっきりパートに行っているのかと思って」

「だからわからなかったの? どこに行くか一回も聞かなかったの?」

「それは、だって」

私の静かな怒りを感じたのか、今度は父が押し黙った。私は憤りが抑えられなかったが、これ以上の議論は無駄だと切り捨てた。

「とりあえず明日は休みだから、そっちに行くよ」

「わかった、でも美夏からも連絡を入れてくれないか」

父の震えは、耳だけでなく、身体中に伝わってきた。それを理解したうえで、私は様子を見るから、と早口で言い電話を切った。

次の日の朝、五時のアラームに反応して目を覚まし、身支度をして自室の扉を開けた。家を出る前にトイレに行こうとシェアハウスの廊下を歩いていると、同じく洗面所に向かう、シェアメイトで台湾出身のスーと会った。

彼女は私よりも一つか二つ年上で、シェアハウスから二駅の位置にあるコンビニエンスストアで働いており、日本に来る前から通信教材や好きな日本のアニメを見ることで日本語を勉強していたそうで、初めて対面したときも驚くほど流暢な日本語で挨拶をしてくれた。

本人曰く、難しい単語や言い回しはまだ理解できないとのことだったが、私にとって彼女との会話は、不安が付き纏いがちな新生活を彩るのには十分すぎるものだった。

「おはよう、今日は早いね」

「スーもおはよう。夜勤お疲れ様」

彼女の声にいつも通りの笑顔で返すと、スーは少し怪訝そうな表情を浮かべた気がした。

「何かあった?」

目が腫れてるよ、と言った彼女の声を振り切るように、私はトイレの個室に入った。共有トイレと洗面所は同じスペースに向かい合う形で設置してあり、扉を一枚隔てて聞こえてくる、スーが洗いたての髪をドライヤーで乾かすごわついた音を聞きながら、実家に向かうまでに流しきるべき最後の涙を拭いた。