第一章 神々は伊勢を目指す

5.古風土記の逸文

麻績と宇治

伊賀最初の支配者は伊勢津彦であるが、彼は「出雲の神」の子であり、出雲建子命と天櫛玉命、二つの名前を持っていた。「出雲の神」はスサノヲであると仮定すると、スサノヲの子としては、「五十猛」と「ニギハヤヒ」が有名である。五十猛の読み方は I ― TAKERU または ISO ― TAKERU であるが、ISOが適していると考える。

ここから次の地名が関連していると考えられる。
ISE(伊勢)・ISO(伊雑、磯部)・ISUZU(五十鈴)・ISOTAKE( 五十猛(いそたけ)神社/島根県大田市)
また和歌山市の伊太祁曽(いたきそ)神社の祭神が五十猛命であり、熊野灘を経由して伊勢に直結する。

一方ニギハヤヒのフルネームは天照国照彦火明櫛玉饒速(くしたまにぎはや)()命であることから、天櫛玉命はニギハヤヒのことと考えられる。ここから「伊勢津彦」は「出雲建子命」=「五十猛命」であると推測することができる。「天櫛玉命」はニギハヤヒであるから、口承時の誤りによって《次子の名を「天櫛玉命」》が《またの名を「天櫛玉命」》として伝えられたのであろう。

伊賀の(あな)()社のANAの音は、安那(あな)・安耶((あや))・安羅・阿羅につながる。これらは朝鮮半島南部の小国の名前である。これは五十猛命の父、スサノヲが新羅・安那から渡来、出雲国首長になったことにつながる。つまり伊賀最初の支配者は、出雲系の五十猛命であったことを示していると推測できる。

猿田彦と伊勢津彦

このまとめに、伊賀國風土記の逸文にある猿田彦神の情報を合わせると、新しい世界・知見が現れてくる。その逸文の内容を一覧にしてみる。

・猿田彦神が、伊賀を「伊勢加佐波夜之國(いせかざはやのくに)」となづけた (伊賀は、もとは伊勢の国の一部であった)

・猿田彦神はたいへん古くから、この国(伊賀を含む伊勢)を支配していた

・猿田彦の女むすめ=「吾娥津(あがつ)媛命」が、天照大御神の金鈴を斎いつき奉まつる

・吾娥津媛の名によって、吾娥之(あがの)(こおり)と謂う・天武天皇の御宇、吾娥之郡から名を分けて伊賀國とした(AGA↓IGA)

・国名が定まらずに十余年のあいだ、「加羅具似虚國」であった・加羅(から)()()(加羅から渡来した人が住む)虚から國くに(または虚國(むなくに)=国名未定の国)であった

・伊賀の支配者は、伊勢津彦=出雲系五十猛であった

・伊賀を含む古くからの伊勢の支配者は、猿田彦であった

・伊勢国の支配者は、スサノヲの子である「伊勢津彦=五十猛」が継いだ