第一章 神々は伊勢を目指す

1.渡来人の移動経路

まず問題点を整理して、論点を確認しておく必要がある。自らが信奉する神々をお連れして伊勢に行くのも、また伊勢から出て新しい土地に再出発するにも、彼らは止むを得ずそうしたのだ。それが政治的理由であれ、宗教的情念に基づくものであれ、その歴史的背景を理解しておかないと、迷路に踏み込んでしまう。それほどに、伊勢は恐ろしいところである。

伊勢に出入りする人々の集団の動きを、弥生以降の年代順にまとめてみる。

B.C.306年に「越」が滅んだあと、「越人」たちは春秋・戦国の争乱を避けて、周辺に四散した。その一部が半農半漁の倭人=弥生人となって、長江沿岸から北上してきた。彼ら越人は海人族であり、一般的には黥面文身の風習があった。海人族の中心は、安曇族。その支族が宗像氏である。

さらに東アジアの寒冷化や戦乱によって、朝鮮半島からの渡来集団が続いた。その中には朝鮮半島古代国名を負った一族が含まれていた。

・KO―KURE(高句麗、呉など)

・KUDARAKI(百済木など)

・SIRAGI(新羅、白木、白子など。また比良、白髭、白山比咩など)

・KARA(韓、辛など)

・ARA(荒木、安羅など)

・ANA(穴太、安濃など)

続いて騎馬民族の一団がユダヤ系の人々と一緒に渡海してきた。騎馬民族は政治・軍事の中心となり、外交・財政等は外国人(朝鮮半島の文化人層やユダヤ系秦氏)が中心となった。

〇出雲族(ユダヤ系出雲首長家。騎馬民族)

〇天孫族(任那から入ってきた崇神王朝。騎馬民族)

〇その他(応神王朝。その後継として継体王朝)・騎馬民族と一緒に渡来した「(むらじ)」(物部氏)・騎馬民族に臣従した「(おみ)」(大伴氏)・騎馬民族の親族(支族)(多氏)・ユダヤ系秦氏、朝鮮半島からの知識・技術者彼らは以下の3通りの経路で伊勢に至ったと考えられる。

・北九州(→瀬戸内海)→大和(奈良)→伊勢

・北九州(→瀬戸内海)→紀・熊野→伊勢

・北九州→若狭など越→琵琶湖・伊賀→伊勢

そして伊勢から以降は、2通りの経路でさらに遠国へと至った。

・伊勢から尾張・美濃・越

・伊勢から駿河・房総・常陸・陸奥(YUTU・HUTUが転訛→MUTU)

現在残る各地の地名や神社に残る書物から、これらの経路を推理して読み解くことができる。以下にその結果を示すことにする。