その後テキストの中の文章にも惹かれ、ニュートン、ハミルトン、ラマヌジャンについて書かれた『心は孤独な数学者』を興味深く読んだ。文章の素晴らしさは、とても数学者のものではなく、優れた随筆家か小説家のものである。やはり両親が作家であることが影響しているのであろうか、否、その血筋の中に自分独自の世界を構築され、普通の単なる伝記とは一味違った「評伝紀行」なるものを確立されたのだと思う。

偶々見たテレビのお陰で、その後も引き続き『若き数学者のアメリカ』『父の威厳 数学者の意地』『数学者の休憩時間』『数学者の言葉では』『古風堂々数学者』『遥かなるケンブリッジ』などを一気に読み、いつかこの著者に素晴らしい小説を書いて欲しいという欲求さえ感じた。続いて、藤原てい氏の『流れる星は生きている』を読み、嘗てベストセラーになっていたことを知った。今頃という感じはしたが、寧ろ今こそ読むべき本かも知れない。まさに事実は小説よりも凄惨である。

外地で夫と引き裂かれ、幼気ない三人の愛児を抱え、母親の命を賭して、艱難辛苦の末やっと本国へ辿り着く。涙なしでは読めない壮絶な記録である。生きて帰れたのが実に不思議である。その愛児の一人が藤原正彦氏である。

氏は今でも大きな河を見ると恐怖心で怯えると言う。幼い時の悪夢が、生涯ある幻影となっていつまでもつきまとってくるのであろう。その他、藤原てい氏には『果てしなき流れのなかに』『旅路』『赤い丘 赤い河』『家族』などがあるようだが、これから先、読む時間をもちたい。

新田次郎氏については、取り急ぎ、『八甲田山死の彷徨』『強力伝・孤島』『アラスカ物語』を続けて読んでみた。凡て実に細かい風景描写のもとに夫々の人物が見事に描かれている。八甲田山やアラスカ物語など極寒の世界を手に取るように活写し、綿密に辛抱強く足で取材をした跡が読み取れる。

正彦氏は、親父には本当の恋愛小説は書けないだろうと言われたようだが、私は逆の考えを持っている。尤も、これは身内としての謙遜の言葉と解釈すべきであろう。もし、新田氏がどこかの出版社からそのような依頼を受けたとすれば、実に素晴らしい恋愛小説を書き上げられたに違いない。

平成十四年三月五日、午後九時十五分、NHK総合テレビ『プロジェクトX』で、《〜富士山頂レーダーに男たちは命をかけた〜》が放映された。私は奇しくもそれを見る機会に恵まれた。昭和三十九年八月十五日ドーム装着、ヘリパイロット神田真三(元特攻隊教官)、現場監督伊藤庄助、同年九月レーダー発信、総指揮者、気象庁測器課補佐官藤原寛人(新田次郎)、富士山頂風速百米。

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