イチローの大記録に寄せて

(四)

この彼にしても年間最多安打は248本であった。

G・シスラーにしても、このT・カッブにしても、通算本塁打は歴代30傑にも入っていない。ホームランバッターとアベレッジヒッターとでは自ずから体型も打法も違うのである。イチローもまた然りである。

これを見ても、イチローの年間262本という数字が如何に物凄いかが理解できよう。兎角試合数の問題も議論されるが、当時と現代とでは色々な面で比較できないものが多い。例えば当時の球場やグラウンドなどの環境状態、ボールやグラブそれにバットなどの素材の点、また投手の球種と投手の数の問題等々数え上げれば切りがない。

しかし、概して当時と較べ野球環境は現代の方がより複雑でレベルアップされており、打者にとっても投手にとっても今の方が新しい記録は更に作り憎くなっている筈である。

こうした近代野球の粋を集めた中での大記録であるから、何の文句のつけようもない。ただ、「お見事」「ご立派」「素晴らしい」と言う以外に言葉はない。

(五)

イチロー選手のことを天才的なバッターだと言う人がいるが、父、宣之氏に言わせれば「イチローは決して天才ではなく、そのもっているバッティングセンスに抜群のものがあったからであり、それは凡て弛まぬ練習の賜物だった」とのことである。

「天才」を広辞苑で引いて見ると「天性の才能。生まれつき備わったすぐれた才能。またそういう才能を持っている人」と定義されている。

音楽界での天才と言えば、その最右翼がモーツァルトである。三歳でピアノを弾き、四歳で作曲したなどと言い伝えられている。これは全く常人の及ぶところではなく、幼少にして既に天賦の才能が備わっていたとしか言いようがない。教育とか指導を受けたということではなく、ある種の非凡な楽才をもって生まれてきたということである。

不思議とこうした天才は、得てして夭逝する人が多く、音楽界では三十五歳で亡くなったモーツァルトを初め、シューベルトが三十一歳、メンデルスゾーンは三十八歳で亡くなっている。

一方、天才は努力によって生れるとも言われるが、まさにイチローの場合の天才的な素地は、弛まぬ訓練によって作られたと言えよう。