庶民目線で庶民史観というようなものを語ってみようじゃないか

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「この道」に歌われるような「お母さま」、「里の秋」の「母さん」の母親像の情景は、今後再び蘇ることも意識されることも取り上げられることもあるまい。敢えて言えば、平等社会や両親共稼ぎの社会では、母親が社会生活のある分野全般を取り仕切ることはなくなっている。そこに母・女の威厳や優しさはない、季節の変わり目の服装を仕切る女性像もない、家の中万般を牛耳る女性が持つ言うに言われぬ優しい権威もない、お母さまといえるような姿も形もない。

あるのは、平等社会のチマチマした手抜きの平凡さだけである。階級社会や身分社会が良いというわけではないが、品格はそうそう平等一般からは生まれない。飛騨出身の私から見れば、皆がありがたがる飛騨高山や飛騨古川の祭り屋台も、実は、富の偏在・不平等社会だったが故に建造可能だったのである。

さて、平等と平板の上の文化の楼閣は、どうあるべきなのだろうか。情況が変われば、人も生活も変わる。庶民の人生とはその時々を楽しめ、そういう単純なことなのかもしれないが。

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私には、どうやら平均的日本人である能力が欠けている。平均的である「かのように」振る舞い演じる能力もない。どう見ても、少数派が似合うようなお馬鹿ちゃんである。昨今カミングアウトが流行り少数派を自認されるLGBTの皆さんの方が、私なんかより、言動ははるかに日本人的平均的で、ある意味頼もしい。

思い出せば、私の少数派事始めは、可愛げのなかった中学生の頃に始まるのかもしれない。育った町で、小学生当時の私のIQは、だいぶ高かったようで、中学生になると知的に満たされない不満のはけ口を平凡教師へ向け、「難しくて答えられそうにない質問」で窮せさせるという、可愛げのない行動に出た。

教科書内容を教えるのに汲々としている授業を受けて楽しくなかったし、当時「でもしか先生」と揶揄された大半の教師は、妙に貧しく映った。変な癖を身につけた私は、その後、反体制派でもないし、敢えて背を向けたり反対したりするわけではないのに、どうしても平均値に興味が湧かず顔も足も向かないという変なスタイルにはまってしまった。