庶民目線で庶民史観というようなものを語ってみようじゃないか

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今、私の周りには、殺人・強盗・詐欺・放火もないし政治家の巨悪も見当たらない。それが日常であり、それ以外は非日常である。よく観察すれば分かることであるが、庶民にとり、テレビ・新聞等報道されるのは非日常であり、報道されない膨大な累積こそが日常史であり庶民史である。これが真実である。

流す側は、ルーティン化し報道慣れすると、それらの出来事のほんの触りを、選別なく深入りもなく、日常茶飯のようにたれ流す癖がつくようである。一億総白痴化した見る側でも、マスコミ共同媒体で入手する報道記事や見なくても一向に困らない食べ物・お菓子探訪記事を、テレビの日常風景として惰性的に「聞き流し慣れ」する癖がつく。

ジャーナリストにその目とその使命感がなければ、政治家の巨悪もよくある詐欺一般と同じになる。

ジャーナリストたちが身を削って掴んだ巨悪の実態だけでなく、片隅で紡がれた庶民の小さな小さな思弁の欠片、学生が現実社会との接点のないエリアで発した新しい思想、庶民の日常生活だからこそ確かさを持つ喜怒哀楽の感情……それらの本当の日常は、とうてい拾い集め尽くせるはずもないが、打ち捨てるには、いかにもしのび難いではないか。

ジャーナリストを自認するなら、それら価値ある小さな非日常を集めてくれないか。

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日本の若者よ、君たちが作っている今の日本は、ちっともカッコよくないぞ。君たちが怒りもせず許容している国家・政府はドンドン劣化を繰り返し、様々なメルクマールで先進国中下位であるだけでなく、世界順位でも劣位なものまで出ている。

先ず本も新聞も読まない、面倒な原論は学ばない、ものごとは安易なSNS情報やグーグル検索で間に合わす、ショートメールの感情表現で生活に満足しているようでは、とんでもない視野狭窄に陥るだけで、三流は目の前だぞ。せっかく世界に冠たる経済成長を手にしながら、一旦苦境に立つと、成功体験からしか学べない日本人の悪い癖が出てしまう。

不況・停滞に対し、かつての成功例ながら今では時代遅れの「リフレ経済策」にしがみ付き、ウロウロしている体たらくである。相変わらず、リフレ論で上流から金を流せば下流が潤うという間抜け政策をやっている間に、急務のデジタル化に取返しのつかない遅れをとってしまった。国民への説明とリードも怠ってしまっている。

指標上、世界10位以内に入っていた分野も大半を手放してしまった。ズバリ三代に亘る三流首相の責任である。怒りを忘れた若者は、「歌を忘れたカナリア」より始末が悪い。創造者ではなく、既存文化・文明の単なる消費者に過ぎないからである。

一日中、スマートフォンをいじっている場合ではないぞ。君たちに、「NO」というエネルギーはあるのか、残っているのか。変えるエネルギーはあるのか、残っているのか。君たちの将来なのだから、若者らしい、変えるべきは変える姿を見せてくれないか。