第二章 文学する&哲学するのは楽しい

学問的な話も時にはいいもの、少し付き合ってくれないか?

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日本列島におけるうた歌謡の始源・発祥の問題は、「関心あらざるべからず」の大問題である。

しかし、日本人の誰も、特に学者・研究者においては、能力と自己保身の問題から、「言えなかった・言わなかった・言おうとしなかった」のである。「いつ頃か」という発祥時期特定と「どんな要因から」という総合的観点の提示の二つを言わなければ、何も言わないに等しい。

「文学屋さん」や「文化屋さん」に頼ったり期待したりしていては、いつになっても、日本列島の歌謡発生の時期を特定する、いわば「龍の顔に眼を入れる」作業は不可能である。

業を煮やした私は、経済学的視点から、取り敢えず、眼を入れてみることにした。今後、動物の顎等の骨格学、生体学など様々な切り口の導入により、より近似値が求められる時代が来るであろう。それはそれとして、先ずは本邦の初作業に取り掛かることにする。

私の手許には、私製の日本史年表が置かれている。新石器時代から奈良時代に至るもので、書店発行のものとは別の、膨大な書き込みのある年期の入っている代物である。書き込みつつ数十年、私は眺めてきた。うた歌謡始源への旅はいつもここから始まる。

アジア大陸から分離の西日本とさ迷える東日本との陸地衝突と合成の時期までの遡及には、私の頭はついてゆけないでおり、興味の対象はその後である。

さて、最初に、うた歌謡を生む総合地盤を通覧しなければならない。縄文時代の後期から晩期においては、寒冷化に伴う人口の激減を見る一方で、弥生時代早期にかけて「弥生海退」といわれる気候変動と大陸からのイネ伝来により、沖積平野や低湿地帯で稲作が始まったと云われている。

弥生時代前期頃(BC800~BC400)、私にはそのスピードを計測する才はないが、稲作拡大により生産力は飛躍的にアップし、それは村落共同体の大規模化を促した。交流・交易も飛躍的にアップするなか、大規模化と並行し、近隣との広域圏を形成するに至る。

広域圏共同体にとっても、その単位を構成する家族群にとっても、人的資源の確保は、生産力の確保・拡大や共同体維持・発展の必要性から、優先課題でなければならなかった。