『人工呼吸器装置』導入および『胃瘻』

造設わが家の場合

平成二十二年十一月、夫は岡山県のK医大の教授より『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』の宣告を受けました。

私たち家族は、青天の霹靂という言葉も大げさに感じないほどのショックでした。不埒なことに、一時は神仏をも信じ難いほどの心境となりました。

間違いであることをひたすら念じつつ、この道の専門家としてつとに有名なN医師を、娘と岡山県のそのご自宅にお訪ねし、病院よりの資料をお見せし、ご診断を仰ぎました。そしてその場で即、紛うことなくALSであるという烙印を押されました。

しかし、泣いたり喚いたりしている時間はありませんでした。

夫のALSは『球麻痺』という延髄の障害による麻痺という型から来ました。とにかく呼吸の苦しさを訴えました。そこで鼻マスクで呼吸の苦しさを緩和させることにしようということになりました。

夫は「もしも自分が病気になっても、人工的な補助装置は一切拒否する」と常々言っていた人でした。簡易とはいえ鼻マスクも人工呼吸器です。家族としては、いかにその導入を説得させるかということに鳩首密議をこらしました。

しかし、それは全くの杞憂でした。当面の息苦しさには勝てなかったのでしょう。主治医の「あなたのその息苦しさを和らげてくれる器械があります。いかがですか」の一言でCPAP(鼻マスク式の人工呼吸器)装着となりました。

家族の夜を徹しての密議はあっさり徒労と化しました。病気の苦しさ、いや呼吸困難の苦しさは思慮外のことだったのでしょう。

私たち家族は、人工呼吸器を装着してくれたということに安心すると同時に、今まで何事にも一途に取り組んできた人が、こんなにもあっさりと持論を訂正せざるを得ない心境になったことに、一抹の寂しさを禁じ得ませんでした。病気、障害という現実のあまりの大きな力に、身震いすら感じました。

これから私たちは、この大きな力と闘っていかなくてはならないのかと思うと、身の引き締まる思いでした。

とにかくわが家族四人の中で、唯一内科面で一度も医師のお世話になったことのない人が、事もあろうにALSなどという神経難病を発症しようなどとは、夢だに考えたことではありませんでした。しかし、入院して発症宣告を受けて以来、身体の変化は次から次へと素人の私が見てもわかるほど、めまぐるしく現れました。

肩で息するほどの呼吸時の苦しみ方、排泄時のくたくたになるほどの疲れ具合などなど。

当面息苦しさは鼻マスクで補えたとしても、この病気の人は嚥下障害を起こしやすく、それが原因となって誤嚥性肺炎ということにもなりかねないということから、一度きちんと「嚥下の検査をしましょう」と病院側から話があったのです。