家は石材店を営んでいた。おじいちゃんは家の横の石材店の仕事場にいたり、自分の部屋にいたりした。でもおじいちゃんとの交流はあまりなかった。お父さんは市役所に勤めていた。寡黙で厳格なお父さんだった。家ではお父さんの言うことが絶対だった。私はお父さんがいつも怖かった。どうしてお父さんが石材店を継がなかったのかは知らない。

新田石材店を継ぐ予定になっているのは、お父さんの一番下の妹夫婦、山口家のようだった。お母さんは専業主婦だった。家事を完璧にこなす、それはそれは完璧で鑑のような専業主婦だった。家にチリやホコリがあることなんて見たことがない。料理もとっても上手。裁縫、編み物なども全てできる。

「スーパーの食材は良くない」

と言い、その日の食材を毎日、市場に買い物に行っていた。私の家の隣は魚屋さん、そしてその隣は八百屋さん、道路を渡ると小さなスーパーがあった。でもお母さんは

「そんなところの食材は身体に悪いのよ!」

と言っていた。長崎は坂がとても多い街。私の家も坂の上にあった。栄えているところが低いところにあり、家は坂の上にあるから、市場に行くには坂を下らなくちゃいけない。でも、いい食材で家族に美味しい完璧なごはんを作るために、毎日毎日きつい坂を下りて買い物して、重い食材を持って坂を上って家に帰っていた。

毎日とても大変だったと思う。

いつもついて行く市場は活気があって楽しかった。毎日行くからどのお店の人とも顔見知りで挨拶をする。魚屋さんには、バットになまこがうようようごめいていて、私はそれがいつも怖かった。お母さんはいつも私に向かって怖い口調でこう言う。

「言うことをきかなかったらなまこになるよ! 赤いなまこは言うこときかなかった女の子! 青いなまこは言う事きかなかった男の子! あんたも言うこときかなかったら赤いなまこになるんだよ! わかった!?」

いつも身を震わせながら半べそで「うん」と言っていた。私がいつもお母さんの言うことをきかないから、そうやって釘を刺すのだ。お母さんは午前中に市場に買い物に行き、帰りに立ち食いうどんを食べたり、豚まんを買って帰って食べたりして、お昼はいつも簡単に済ませていた。

【前回の記事を読む】向き合うのも辛かった家庭環境だが…「貴重な体験をした」と語るワケ