ところでその米内は、山本と正反対の大酒飲み。酒に酔うということを知らない。

このような逸話が『米内光政』に書かれております。

当時海軍の三大泊地といえば横須賀、呉、佐世保。米内がそのひとつ横須賀鎮守府司令長官時代(昭和十年)の逸話。米内も公式でもお忍びでもよくやって来たという海軍御用達の老舗料亭でのこと。

一度、「米内長官のお相手をして酔っ払わせた者に褒美を出す」と言い出した人があり、横須賀の花柳界で底なしと言われていた年増のお姉さんが挑戦した。長時間差しつ差されつ、杯を重ねてもいっこうに乱れぬ米内。そのうちとうとうお姉さんは撃沈。

しばらくして店のおかみが部屋の様子を探りに行ったところ、米内は年増姉さんを自分の膝に寝かせたまま、ひとり手酌で静かに酒を飲んでいたとか。さらにもうひとり米内に挑戦した大虎のお姉さんがいたというのですが、これもしまいには三味線のバチも持てないくらいになってしまった。「負けました」と、ぽろぽろと涙をこぼしたとか。

また、米内が総理大臣を務めていたとき(昭和十五年)、当時の満州国の皇帝・愛新覚羅溥儀が日本を訪れた際に、米内の酒量が話題となった。皇帝が「満州語に『海量(ハイリャン)』

という言葉がある。米内の酒の量は『海量』か」と尋ねたところ、同席していた高松宮宣仁親王が、「いえ、米内は『洋量(ヤンリャン)』です」と返したという逸話が語り継がれているとか。

ほぉ~、「洋量」ですか……。覚えておきたいことばですな。