囲碁

また通常使われている一般的な言葉の中にも、碁に関する言葉がそのまま使われている場合が多い。「ダメ押し」などはその代表的なもので、碁源? がその出典となっている。

私の住んでいる団地の中にも囲碁同好会というのがある。発足以来既に二十数年続いている。他にもお茶や花、コーラスや社交ダンスの会などもあるようだが、囲碁同好会が最も永く続いている。二十名近い会員が、毎週一回日曜日に、団地の中にある市民センターに集まり、その和室の一室で、各自が思い思いに碁が打てる実に楽しい会である。

年四回ほど大会を開くが、中でも一泊四食の合宿での大会が最高に盛り上がる。場所は福井県西南部にある三方五湖近くの日本海に面した船宿で、その日の朝、市民センターに集まり、各自車で現地へ行き、宿で昼食を摂ったあと、参加者全員によるリーグ戦が開始される。

夕食時は、豊富な海の幸に舌鼓をうちつつ、囲碁談義に花を咲かせる。そのあと夜十二時頃まで打ち続け、睡眠中は碁の寝言を呟きながら朝を迎える。朝食後も直ちに盤に向かい、昼食を挟んで午後三時頃まで打ち続け、勝敗を決める。宿にいる間は、碁を打っているか、食事をしているかのどちらかである。世に言う一泊二食の旅とは違い、一泊四食の壮烈な戦いである。

宿の美人女将は、我々が行くたびに怪訝な顔つきで、二日もかけて何がそんなに面白いのかと驚嘆しているらしい。この面白さは、やはり碁を打つものでないと分からない爽快なものである。碁の深遠とその無辺の変化、数学的には七〇〇階乗以上と言われるこの無限の変化は、到底コンピューターの及ぶところではない。

老若男女が共に楽しめ、年齢の隔たりなど全く関係はない。碁は老人の手慰みなどと言う人もいるが、論外である。尤も、老後の趣味としては、これに勝るものは他にはない。しかし、年齢にこだわる必要は全くないのである。

碁を打つ人が、医学的にボケないというのは嬉しい限りである。先に述べたプロの世界では、遅くとも高校生くらいまでの年齢で入段できなければ、プロ棋士としては通用しないほど厳しいものである。プロとアマの実力の差は、我々の想像をはるかに超えている。二日がかりで打たれるタイトル戦が終わると、対局者はそれだけで、五キロ近く体重が減るという。

またある棋士など、プロになって以来、千局以上対局したとしても、その殆どの対局手順を記憶しているというから驚く。常人ではとても考えられないことである。生活をかけている人と遊びでやっている者との大きな違いである。