第二章 「寄り添うってなに?」

1.離婚

・離婚はバンジージャンプ!

離婚‼「寄り添うってなに?」の始まりが離婚って何?

二十年の結婚生活が破綻した。大学受験を目前に控えた高校生の長男と、発達障害で不登校の小学四年生の次男を連れ、私は離婚した。五十二歳でシングルマザーデビュー。更年期症状まだ残る中年女が、人生まさかの命がけのバンジージャンプ。命綱もつけたのか確認しないまま。

ただ、飛び込まないよりはマシと思った。それなら、子どもたちを巻き添えにせず一人で飛び込めばよかったのかもしれないが、子どもたちの親権をめぐる離婚協議は、血のつながった子どもたち兄弟を引き離す方向になりそう。それだけは絶対にしてはいけない。

離婚協議の始まる前に、警察に相談していたが、完全に警察が認めるDVの状態だった。暴力にさらされた家庭の解散の決断だ。子ども二人の親権は私が獲得し守らなければ、と思った。子どもたちも同意した。

何年もかけて、夫の言葉と態度による精神的暴力は常態化し、家庭は完全に安全な場所ではなくなっていた。それでも、夫はその都度子どもに謝罪し優しくなるので、そのたびに、今度こそやり直せるのかと思ってしまった。しかし、時がたつほど状況は悪化するばかりだった。もう、だめだ、夫から離れる決断をしなければ。離婚が秒読みになってきたことを感じた。

しかし、不妊治療と博士論文と子育てのため仕事を辞めた私に、子を養える経済力はなかった。子どもたちを引き取り養育するためには経済力が必要だ。急いで大学教員への復職を試み、就職先を探し、フルタイムで復職できる就職先を決めた。そこは助産師教育のため設立された大学院だった。

・逃げる

離婚の時期は、思っていたよりもずっと早く来た。子連れ離婚、再就職したばかり。仕事も今後の生活も見通しがついていなかった。本当は離婚せずおさまることを願っていた。穏やかに暮らしたかっただけだった。しかし、私の復職が正式に決まったその夜から、夫は豹変した。

夫に、「これで高給取りになったと見せびらかしたいのか」と冷ややかに言われ、祝杯のはずの食卓が凍りついた。子どもたちにも緊張感が走り、あまりの恐怖に何を食べたのかさえ覚えていない。日ごとに進行する家庭内暴力の状況を、もう再度、警察に相談するしかなかった。

刑事さんから、「奥さん、かなり深刻なDVです。早く遠くに逃げてください」と助言された。目の前が真っ暗になった。そして、夫から、「あなたに家から出て行ってほしい」と言われた。なぜ私が家から出て行かなければならないのか。何を言われているのかまるでわからなかったが、暴力から逃れるために、私が家から出るしか安全な方法はなかった。

私は、警察の助言のもと、すぐ入居可能な小さな古いアパートを借り、一時別居という形で逃げた。まもなく次男をそのアパートに引き取り、長男には学生用アパートを借りて、子どもたちも父親のもとを離れた。

別居による冷却期間をおき、双方弁護士を立てての離婚協議が始まった。逃げるように、先が見えない不安の中で、仕事に追われながら、次男を養育しながら、思い返すだけでぞっとする。