第三章 ぽんこつ放浪記

6.DVとは何なのか:DV原型の末路~父と母・夫婦に下された裁き

父母の夫婦別離

地域包括支援センターと警察の保護のもと、母を高齢者施設に移すことになった。

そこは伯母がかつていた施設だったので母は嫌がったが施設側は喜んで迎えてくれた。そのうち、「姉が傍にいるような気がするの」と安心して暮らせるようになった。

今は、母の施設に近いところにある法華寺の住職の奥様Iさん、かなり遠い親戚なのに、娘代わりに母を支えてくれている。観音様のような方だ。ありがたい。

そして、父には、母はまだ精神科入院中と言ってある。もう四年経つけど。その間に父も高齢者住宅に移した。雪かきが大変だから、私の実家でもあった大きな一軒家も売却した。

当時、何千万もかけて建てた家が過疎化の影響で売れず、土地付きでたった六十万円だった。そのお金は父の新しい高齢者住宅の費用になった。父は社会的生活に相当問題があり、次々担当ケアマネージャーが代わった。

ついに、市の「最後の処理人」と呼ばれる凄腕ケアマネージャーが担当になった。彼のお陰で父は心静かに暮らしている。さすがだ。

妻を返せとストーカーのように私に一日何十回も電話してきた父だったが、私は「コロナなのだから面会に行けない」と言ったら、「そうかコロナだから、仕方ないな」と、あっさり諦めた。コロナは父のDVを制圧した。こうして地域で栄華を極めた家族は没落。でも、今も生きていてくれている。

私にとってDVの原型だった夫婦は終焉を迎えた。母の命は救えた。DVの正体、原型は親だ。乳幼児期に親を早期に亡くし、虐待を受けた男女が、親の愛の形を否定しながらも無意識に親と同じことを繰り返してしまう。親が自分にしてきたことを愛だと思いたい。それが暴力でも……。

子ども時代に「あんな親にはなりたくない」と固執した孤独なインナーチャイルドの思いだ。こだわらずに赦せると良かったのに。私は母のようになれなかった。子どもたちに私の思いはさせない。

けれど、夫は私の父親にそっくりだった。夫からも暴力を引き離したい。DVの世代間伝達をここで断ち切らなければ。