【前回の記事を読む】20年の結婚生活が破綻…「バンジージャンプのような離婚」の経緯

第二章 「寄り添うってなに?」

1.離婚 

離婚協議

双方、弁護士を立て、親権と養育費について、裁判ではなく協議離婚で決めることにした。私の弁護士はDVやセクシャルハラスメント、子どもの権利に関する弁護において敏腕のベテランの弁護士だった。

当初、協議ではなく、夫のDVを告発して裁判で闘うつもりだった。DVを世間に公表し、被害者として賠償請求と親権の獲得をお願いした。しかしベテラン弁護士は「DV裁判は長期化するうえに裁判の途中で傷つく。そのうえ勝てるかどうかわからない。それでも闘う?」と判断を聞かれた。

DVを認めさせ賠償させたところで子どもたちに待っているものは何だろう。妻が夫を訴える泥沼の闘い。子どもたちにとって父親は加害者で母親は被害者。子どもたちを傷つける。そんな不毛な闘争より、「夫婦の価値観の相違による離婚」、子どもたちに不利益のない形で、できるだけ円満に離婚する選択をしたほうが良いと助言された。結果的にそうなったことに感謝している。

離婚協議から半年、夫婦別居からも半年が経過し、離婚が成立した。二十年の夫婦生活と四十年の友人関係にピリオドを打った。

私は結婚式のアルバムと、夫と共に過ごした中学・高校の卒業アルバムを捨てた。過去の思い出も捨て、新しく生き直そうと決めた。

離婚協議の争点は、二人の子の親権を母親一人で勝ち取れるか、そして、新築の家を夫から取り戻せるかだった。夫は、自分名義にした家を売りとばす気だった。私たちを裸一貫で放り出す気だった。

しかし、次男が「自分を守ってくれるのは家、家がお父さんになってくれる」、と言った。では、家はなんとしても私が夫から買い取る。家の借金をひとりで抱えられるのか。でも、それでお父さんを買えるなら安い。