Ⅰ.人間の最大の死亡原因は何か?

1 罹患原因の存在しない病気はない

心臓発作および脳卒中の根本原因を究明する

父は、この研究成果に自信を持っていたので、学会発表後は速やかに日本中さらには世界中へと啓蒙が一気に進むものと考えていたと思われます。ところが全くそうはならず、医学界がその成果に注目しないことに強くショックを感じるとともに極めて大きなストレスを受け、父と私はその後数年間にわたり体調を大きく崩すこととなってしまいました。

なお、その後のこの半世紀余もの間、私どもは何もしてこなかったわけではなく、もちろんなんとかこの研究成果を広めようと様々な努力を行ってきました。しかし、社会的に無名であるということは人々の注目を集めることを非常に困難にするようです。

父は、大学卒業後まずは杏雲堂病院に勤務し、後に、佐々木研究所という基礎医学研究機関に在籍して、様々な病気の原因解明の研究を行ってきました。したがって、何事も起きなければ、おそらくそのまま同研究所で医学研究者としての一生を送り、様々な病気の根本原因解明の研究成果をあげ得て、医学史に名を残す存在になったに違いないと私は確信しています。

ところが父は、第2次世界大戦の最中に、おそらく人類で初めて、ガン免疫の存在を発見する研究成果を得たのでした。なお父は、年齢から言えば当然徴兵される年齢の人間でありましたが、研究者ということで特例的に兵役を免除されたのでした。

そのため、徴兵された人々に対する「申し訳ない」という強い思いもあって、人類を困らせている病気の原因解明に必死の思いで当たり、それがガン免疫の存在の発見となったのだと考えられます。

しかし皮肉なことに、この発見は父の人生のレールを思わぬ方向へと大きく曲げることとなったのです。

このことの経緯について説明しますと……このガン免疫の発見は、正当な評価が下されたならば、人類にとっての一大新発見となり得たはずのものです。ところが、戦後間もなく父がこのガン免疫の存在を明らかにした研究成果を学会発表しようとしたところ、研究所から発表の許可が下りなかったのでした。

その理由はなぜかと申しますと……所属する所員の得た研究成果の発表を許可することは、その組織もその成果を認めたことになるからです。しかし当時は、ガンに対する免疫は存在しないというのが世界の医学界全体の判断でした。

すなわち、父の研究成果は余りにも先進的なものだったのです。そこで父は、この研究を発表するためには研究所をやめる道を選択せざるを得なかったのでした。

なお、ガン免疫の存在は、後年医学界でも認められるようになりましたが、そうなる以前に父は、“Cancer can be cured by Immunization(ガンは免疫で治せる)”というタイトルの英文著書を1957年に刊行して世界の諸学者に郵送配布しています。

さらに後年、出身大学である大阪大学において、ガン免疫の研究成果によって「医学博士」の学位を取得しました。また、「ガンの根本原因」というタイトルで、1967年にオーストリアのウィーンで開催されたヨーロッパガン学会総会で講演をしています。

さらにその後一時期、ガンの治療手段としてガン免疫は最も期待されるものとなりましたが、今もって、その治療成果を「十分あげ得た」と言明できるレベルには遥かに達していないと私は考えています。

なお、上述したような経緯で父は研究所を飛び出てしまったこともあって、実地に活用できるガン免疫の手法を確立する研究の場をその後持つことができませんでした。

しかし、そのような場がもし与えられていたなら、父であれば、ガンの転移が生じるなどしてステージ3や4の状態となった人々も治癒の希望を強く持てる、ガン免疫療法を確立する可能性があったであろうにと、今なお私は、「なぜ医学界は、横田良助を活用しなかったんだ!」と、極めて強く残念な気持ちで一杯なのです。

さらにもう一つ、研究は金食い虫の側面が多分にあるので、経済的な面からも活動が大いに制限されることとなったことを言い添えておきます。

※本記事は、2020年3月刊行の書籍『殺人うんこ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。