私にとっては、ソビエトより革命前のロシア時代の文学作品で知るロシアの方がまだ少しは知っているようなものだった。そこに出てくるロシア人、特にドストエフスキーの作品の登場人物などは、なんと何事に対しても憑かれた様に考えを押し進め、自爆するのも省みず深入りする人々なのだろうと驚嘆したことがある。

そういう登場人物達は極端だとしても、その中にロシア人の気質というものが現されているだろうと思っていた。それは我々日本人とは異質ではあるかもしれないが、ロシア人としての真面目さや正直さのなせる業なのだろうとも思っていた。だからこの国を覆うこの息苦しさは、共産主義に対するそういう人々の一途な真面目さとどこかで繋がっているのだろうという気がしたのだ。

モスクワに着いて赤の広場の近くの、やけに大きく威張りかえったようなホテルに泊まった。我々以外に宿泊客はいないようで、まるで教会の様な高天井の寒々しくて薄暗い食堂で夕食を食べた記憶がある。モスクワでは1泊だったと思うが、結構写真があるから色々ぶらついたのだろうが、あまり記憶にない。

モスクワからレニングラード(現サンクトペテルブルグ)にも飛行機で飛んだ。ここもあまり記憶にないが、街中を歩き回っていて大きな河のたもとに出た。これが『罪と罰』のラスコーリニコフが眺めたネバ河かと、橋の上から曇天の下の灰色の流れと、夕空に浮かぶ対岸の建物の黒々としたシルエットを見つめていた。

その眺めはその当時からさして変わらぬ眺めではなかろうかと思った。エルミタージュ美術館を見なかったのは今考えても残念なことだが、時間がなかったせいだろうか。あるいは早くこの重苦しさから離れたいと思っていたせいかもしれない。レニングラードから列車でヘルシンキの駅に降り立った時には開放感にほっとした。

この北の街の空気は透明感に溢れ、清潔で明るさに満ちていた。やっとヨーロッパに来たことが実感できた。ここに2、3日は滞在したのだろうか。当時の日本の建築界で評判の高かったアルヴァ・アールト設計の建物などをいくつか3人で見て回った。その後、船でストックホルムに渡った。岸辺にたたずむ赤レンガ造りのシティーホールは実に優雅な姿であった。