【前回の記事を読む】「憧れの地で働けるかもしれない」海外留学がもたらした思わぬチャンスとは

Ⅰ ヨーロッパ

(三) ロンドンヘ

当時、ヨーロッパに行くには飛行機の直行便もあったがかなり高額であったし、今のように格安航空券が世の中に出回っていたわけではなかった。ヨーロッパへの安ルートは他に2つあった。

1つはエムエム航路(勿論今はもうない)といってアジアの国々に寄港しながらのマルセイユ行の南回りの船便で、確か1ヶ月近くかかったと思う。

もう1つは横浜からナホトカに船で渡り、ハバロフスクからシベリア鉄道か飛行機でロシア(当時は勿論冷戦下のソビエト連邦だ)を横断して、ヘルシンキかウィーンに出るルートであった。シベリア鉄道ではハバロフスクからモスクワに行くまで確か1週間ほどかかったと思う。

鉄道と飛行機のどちらを利用しても同じ料金だったはずだ。エムエム航路よりシベリア経由の方が安かったと思う。

我々3人は研修期間が夏中のほぼ同じ時期であったから、一緒にシベリア経由で行くことにした。そして6月下旬にストックホルムで国際建築学生会議があるというので、それに出てみようと思っていたのだ。

ただ、それがどんな会議なのかはまったく判らなかった。主体となる国際的な団体があるのだろうが、日本に受け皿の団体が存在するのかどうかさえも知らなかった。ではどこでそれを知ったのだろうか。今考えても判然としないが、建築雑誌のどこかで、先輩の黒川紀章氏が以前その会議に出席した記事を目にしたような記憶があるから、それで知ったのかもしれない。

資料を今見てみると、この会議は1963年設立とあるから、毎年開かれたなら、我々が出たのは3回目ということになる。どのようにして会議への参加の手続きしたのかもよく覚えていないが、直接会議事務局の方へ出席したい旨を手紙で知らせたのかもしれない。