一九八九年 春 ―京都―

勝たねばならない試合だった。そして確かに、勝つことができた試合だった。今さらどうにもならないことなのだが、純平は後悔の気持ちを消せないでいた。

最終セット、俺は相手のブロックを気にするあまり、トスを散らし過ぎたのではないか。

特に終盤、見え見えではあっても、もっとサイドへの平行トスで攻めるべきだった。関西学生バレーボール連盟平成元年度春季二部リーグ第六戦。

阿南純平の所属する洛北大学は、同じく全勝の(うず)(まさ)大学と対戦したが、フルセットの末に敗れてしまったのである。来週の最終戦は、今日勝って一敗を守った難波工業大学との試合になる。つまり優勝するためには、また一部との入替戦出場資格を得る二位以上になるためには、難波工大に勝つことが絶対条件となったわけである。

優勝の可能性については、敗れはしたが今日二セットを奪ったことにより、洛北大が来週の試合に勝ち、太秦大が破れて勝率が並んだ場合、ここまでの失セット数の多い太秦大よりもセット率でやや有利な状況ではあるが、とにかくすべては来週の試合に勝ってからの話である。

試合会場だった西宮の甲陽大体育館から阪急電車で京都河原町駅に戻ってきたのは、もう夜七時を回っていた。階段を上がって河原町通りに出ると、相変わらずの雑踏である。

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