原爆投下実験

一九四五年七月一六日にニューメキシコ州ソコロの南東四八キロメートルの地点で人類最初の核実験(トリニティ実験)が行われました。高さ二〇メートルの鋼鉄製の爆発実験塔に爆縮型プルトニウム原子爆弾のガゼットが設置されました。

最上級の研究者や軍人たちのほとんどは実験塔から一六キロメートル南西に設けられたベースキャンプから実験を見守りました。その他の多くの見物人は三二キロメートル離れた位置にいました。

現地時間(アメリカ山岳部戦時標準時)の七月一六日五時二九分四五秒に爆弾は爆発し、TNT換算で約一九キロトンのエネルギーを放出しました。

爆発の瞬間、実験場を取り囲む山々は一秒から二秒の間、昼間よりも明るく照らされ、爆発の熱はベースキャンプの位置でもオーブンと同じくらいの温度に感じられた、と報告されています。観察された爆発の光の色は紫から緑、そして最後には白色へと変わりました。衝撃波による大音響が観察者のもとに届くまでには四〇秒かかりました。

爆発の衝撃波は一六〇キロメートル離れた地点でも感じることができ、キノコ雲は高度一二キロメートルに達しました。放射能を含んだ雲は高レベルの放射線を放射しながら北東へ約一六〇キロメートル移動しました。

この核実験をもって「核の時代」の幕開けとなりました。

この爆発で砂漠の爆心地には放射能を帯びたガラス質の石からなる深さ三メートル、直径三三〇メートルのクレーターが残されました。原爆実験の結果は、ただちにドイツのポツダム会談に臨んでいるトルーマン大統領に知らされました。この情報を考慮して、原爆投下の最終決定はポツダムで決定されることになりました。