金色の朝

松七郎は彫師の松五郎の話を聞くのが大好きであった。松五郎はいつも職人という言葉に拘わった。

「職人は、手が自然に動くンだ。ああしよう、こうしようじゃないンだ。手仕事っていうけど、本当だね」

と言ったり、

「職人てのはネ、親方の仕事を盗んで、体で覚える。理屈じゃないンだね。そう、説明がつかないとこが身に付くンだ。それが呼吸というかコツというか、腕でさネ、職人の」

ぎょろっとした目で、そう言ったりもした。

「体で覚えるのは大変で御座いましょう。親方は、体を大事になさってください」

と松七郎が言うと、

「体? 職人は体のことなんぞを心配してたら、仕事にならねえナ。なんせ、生きてることが、体に一番悪いンだからネ」

と、松五郎は、笑いながら答えた。

摺師の湯本幸枝が、朝の水浴びから帰ってきた。顔が光り輝いている。色が黒く、手拭を肩に掛け、大倉屋の店袢纏から太い腕が覗いていた。

「おう若、おはよう!」

湯本幸枝は明るい声で言った。

「まだ、お暑いですね?」

松七郎は尋ねた。

「そうだナ、汗だくだくだ」と言って手拭で、音がするぐらい強く顔の汗を拭いた。

「力がおありで」

松七郎が茶化した。

「俺たちゃナ『錦摺る畳の上の力車かな』だと皆に言われる」

幸枝はにっこりと人の良さそうな顔をして言った。

「はい」

「仕事には、力が要るンでサ。体が頑丈なことが一番でサ」と、座敷にどかっと座って、茶を飲んだ。

彫師の松五郎は摺師のことを、

「摺師は馬連一つを懐に、どこへ行っても、食うに困らない、腕一本の職人なんだ。だがな、まあ、どんな名人でも四十前後が頂上で、それを過ぎると仕事に艶がなくなる」と言った。

それを聞いた松七郎は

「艶ですか?」

と聞き返した。

「そう!」

「艶ってのは、どのようなもので?」

「そうさな。素人衆には、分からねえだろうな」

と言って、

「そう、道具さ! 道具を見れば、その職人の腕は分かる。だから良い職人は自分で道具を作る」

と松七郎の目を見た。

「摺師の腕は馬連の結びで分かる。そう、道具こそ職人の命だからナ」

と、松五郎はいつも言っていた。その松五郎が惚れ込んだのが幸枝で、その馬連を見て、すぐ二階で仕事をさせた。