二代目瀬川菊之丞

菊之丞油見世松七郎は昔のことを思い出しながら、もう二年かと思った。大倉の旦那の命令で今までやったことのない芝居見世の仕事にはいくらか慣れてきた。市村座の前を通り、堺町の中村座の前を通る。人形町通りにぶつかると菊之丞の見世が見える。健三がいた。見世番である。健三は松七郎の数少ない親戚である。

「おはよう!」

松七郎は健三の目を見て言った。

「おはよう御座います、松兄。秋になりましたね」

路考茶の着物を着た健三は、手を摩りながら言った。健三は人付き合いが上手かった。松七郎の引っ込み思案と大違いで、誰からも好かれた。商売にはぴったりの若者だった。

「兄貴。腹がちょっぴり数寄屋橋で」

健三が言った。

「そうだナ、どこへ行こうか?」

「豪勢に、前の!」

健三が上目遣いで松七郎を見た。

「そうしよう!」

店を出て菊之丞の油見世の前にある「鶴の屋」に入った。

「やはり、ここの幕の内弁当が一番だな」

健三が嬉しそうに言った。鶴の屋は、人形町通りに面している料理茶屋である。焼き魚、刺身、卵焼き、こんにゃく、里芋、かまぼこ、椎茸の煮物、焼豆腐、茄子の香の物、汁、御飯には黒胡麻が乗っていた。

「芳町の万久の弁当もうまいがな。さすが、これは贅沢だ」

弁当のふたを開けながら、松七郎は嬉しそうに言った。

「だけど兄貴、万久は百文だが、鶴の屋は百二十文。ほんと、商売は儲けなくちゃ駄目だナ」

「そうだな、儲けるのは大事だ」

「あの路考茶の時のように」

健三は言った。

「そうか」

菊之丞の油見世が二丁町の売り上げ一番になってすぐの頃、

「精を付けようと思ってな、お前を呼ンだ。一緒に鴨鍋をつつこうとナ」

菊之丞は贅を凝らして作った、本所の別邸で、松七郎に言った。庭の桜が満開で、穏やかで静かな日だった。鴨鍋は菊之丞の好物である。王子の豪農の生まれである菊之丞は小さい時から鴨を食べた。

「おい、若。だけど前ン時は何で、あの色が流行らなかったと思う?」

酒を飲みながら路考が聞いた。

「前の時って、いつですか? 突然なンです?」