深川の色

深川、大倉屋の寮の玄関の横の、数寄屋風の小部屋で、大倉屋松七郎は床を背にして座る、俳名「巨川」こと、大久保甚四郎忠舒に奉書紙に包んだ金を徐に差し出し、前に置いた。

「巨川様、本日は誠に有難う御座いました。些少では御座いますが、手前どもからのお礼で御座います」

「お礼?」

「この私にお礼を? 金子(きんす)か?」

巨川は小さな声で聞いた。黒紋付羽織、黒羽二重の上着、白の博多の帯の巨川は、その細い、優しい目でじっと松七郎を見た。

「はい。いろいろ皆様にご指示を賜り、仕事が纏まるようで御座います。私も勉強になりました。お礼を致します。宗匠様」

「この巨川に、か。そうか、巨川という名前に、だな!」

「左様で御座います、巨川様」

「そうか。それなら有難い。頂きましょう」

左右の行灯の金色の光が、少し赤みが差した巨川の顔を照らした。

「間もなく船が参ります」

「そうか。有難い」

明和四年(1767年)、七月十五日。大倉屋の若旦那、大倉屋松七郎は来年の絵暦の摺り物の件で、「巨川」こと、大久保甚四郎忠舒、絵師・鈴木春信、彫師・遠藤松五郎、摺師・湯本幸枝を深川永代寺門前馬場通南側の大倉屋の寮に招いた。

絵暦とは、年ごとに代わる大の月と小の月の配列を、文字や絵で判じ絵風に表した、一枚の摺り物である。江戸時代の暦は、太陰太陽暦を主とした暦で、大の月が三十日、小の月が二十九日で、一年は三百五十四日だった。それ故、大体三年ごとに閏月がある。

この年、明和四年は、初めの九月が大の三十日、翌月が閏九月、小の二十九日だった。裕福な商人たちは、自分の好み、趣向に任せて独自の暦を作り、公儀の役人、お得意先の大名、出入りの商人、職人などに配り、歳末、新年の贈り物にした。

「良いか、若。仕事のことは、皆とナ、うまい物を食いながら話そう。その方が早い」

大倉屋松七郎が、仕事の願いで大久保の牛込の屋敷を訪ねた時、大久保が言った。

「畏まりました。して、どちらで?」

「次郎兵衛に聞いたが、大倉屋の深川の寮は良い所だそうだが?」

大久保は細い目で松七郎を見た。

「畏まりました。それでは、新しい料理人が入りましたので、皆様にご披露かたがたということで」

「そうか、狭い部屋が良いのじゃが?」

大久保が注文を付けた。

「畏まりました。離れを使います」

「うん」

宴席は暮れ六つから始まった。(ひゃく)()蝋燭が十畳の部屋に多く灯された。

「ほう、明るいな」