政治改革もできない

実際、各種世論調査「政府に何をやってもらいたいか」で毎回、上位になる「年金問題」「医療福祉問題」「少子化対策」「財政再建」……などは無視・先送りされ、世論調査でいつも七位か八位の下位の三~五%程度にしかならない「憲法改正問題」が最優先され、国民の思いと政治がこれほどかけ離れたことはありませんでした。

(その最大の理由は前述しました小選挙区制と野党の分裂、つまり、自民政権を支えることにしかならない疑似野党政党の多発でしょう。中選挙区制から小選挙区制に変える時、議論されましたが、小選挙区制では、二大政党でなければ原理的に政権交替は起きません。ガリバーと六人の小人では、百年河清を待つです。情報時代という背景もあります。今のメディアを使えば、小さくても一党一派の党首として自己満足できるのです。そこには国がどうなるか、どうするかという観点が抜けています。野党同士を説得できない政治家が、どうして国民を説得できるでしょう)

中選挙区制時代、田中角栄・元首相は日本では一二・五%で実質、政権が握れると豪語していました。

当時、自民党は派閥全盛の時代で八個師団の派閥がありました。角さんの理論では、総選挙で二分の一をとれば、自民党政権になれる、その二分の一をとれば、主流派になれる。その主流派の二分の一を握れば、つまり、一二・五%を握れば、日本の政治権力を握れると言っていました(彼は政治的勘で本音を言い、それを実行していました。良くも悪くも)。

しかし、この時代は結果よしでした。自民党内閣が失敗すると自民党の反主流派が必ず、それを理由に主流派を倒し、政権交代となり、それなりに政治は是正され、結果、オーライでした。また、バブルがはじけるまで日本は欧米の後追いでしたから、中央官庁の官僚が立てる政策も欧米の追いつけ追い越せ政策で一致していましたから、ブレがありませんでした。

結果を見ると日本は効率よく高度経済成長を遂げたのです。

問題はバブルがはじけてからでした。ちょうど、平成年間に入り、日本は少子高齢化が本格化してきてからです。その時、小選挙区制になって自民党は一選挙区一人の公認となり、小泉、安倍と続きましたが、俄然、自民党は総裁(江戸時代の将軍になったのです)の力が強くなりました。

すべての衆参議員(全国三〇〇藩の世襲の大名と同じ)は総裁に頭が上がらなくなり、モノも言えなくなりました。総裁選挙に参加する自民党員は一一三万人(年会費四〇〇〇円)で日本国の一%にもなりません。同じ一党支配の中国では、人口一四億人、共産党員が九〇〇〇万人で国民の六%です。

日本では一%にもならない国民で実質、総理(将軍)を決めていることになります。政党政治、民主政治が形骸化していると言わざるを得ません。安倍首相は二〇一四年に内閣府人事局を作り、中央官庁の主要幹部の人事を一手に握り、官僚組織も総理とその取り巻き連に対して忖度させるようにしました(戦後、長い自民党政権時代にも、時々、時の政権に職を賭して抗議する官僚がいましたが、安倍政権によって完全に忖度官僚にされてしまいました)。

日本型権威主義政治(平成幕藩体制)の誕生です。首相公選制などの改革をしないと日本の民主政治は本当に形骸化されてしまいます。しかし、平成三〇年間、選挙区議員定数削減一つできない現政治に、そのような政治改革ができるはずはありません(政権政党に政治制度改正をゆだねること自体が間違っています)。これも先送りです。