第1章 フィリピンの特別永住権を取得するに至るまでの軌跡

小さいころからの海外生活への憧れ

そんな中、私のルーティンな生活を打開するきっかけが訪れます。私は内装施工の会社の本社の経理に配属されたため、会社の財務が分かるポジションにいました。入社して少し経った頃、なんとなく違和感を覚えました。

採用担当者の説明では会社の業績は絶好調で、前年はボーナスを全社員に10カ月分支給したと聞いていました。しかし、給料やボーナスの支給前には経理部長が銀行の担当者となんだか暗い顔でシリアスな話をしているのです。

この違和感が「確信」に変わる事態がやがて訪れます。入社当時400人近くいた社員をリストラし、250人にするという計画が発表されたのです。幸か不幸か、私はリストラの対象になりませんでしたが、会社の将来性に不安を感じて転職を決意しました。

新たな転職先は「第二海援隊」という一風変わった名前の会社で浅井隆さんという経済ジャーナリストが代表を務めるベンチャー企業です。当時、『ビーイング』という転職雑誌があり、「出でよ、21世紀の坂本龍馬、21世紀の総合情報商社」というようなキャッチフレーズの求人広告があり、強烈なインパクトがあったのを今でも覚えています。大学を出て間もない私でも「これは怪しい会社だな。名前がやばい。親に絶対に反対される」と思い、『ビーイング』を2週間くらい放置しておきました。

しかし、どうしても頭から離れず、ある日恐る恐る電話してみたのです。私は経理しか経験がなく、しかも年齢も24歳だったので、先方が求める採用条件を満たしていませんでした。電話口には当時の総務部長が出て、とりあえず、面接を受けることになりました。

「何で今の仕事を辞めたいの?」とまず聞かれました。私は「仕事が面白くないのです。それに会社の将来性がないのが分かったので、なるべく早く次に行きたいのです」と言いました。すると、総務部長は「石の上にも3年って言うでしょう。君みたいな人はどうせこの会社に入っても嫌になったらすぐに辞めてしまうのではないですか」と言われました。

私は「なんでこんな嫌味を言われなければならないんだろう」と思いながら、「いいえ、そんなことはありません。今の会社であと何年か我慢して働いたとしても状況が良くなることは考えられません。社員の4割をリストラするような会社に未来はないと思います。私は自分が納得できる会社、仕事に巡り合えたらできる限り長く続けたいと考えています。とにかく、私は本気なのでチャンスを下さい」とまくし立てました。

総務部長は「分かった。そこまで言うなら、浅井社長と会ってみるか」と言われたのです。数日後の二次面接には浅井社長と出版部長が出席し、対応してくれました。いろいろなことを聞かれましたが、今でも印象に残っているのは、「あなたは社会人になってまだ2年も経ってないですよね。いったい何ができるのですか」と言われました。「社会人になってから経理しか経験がないので、今は経理しかできません。でも、言われたことは何でもやります。やる前からできませんというのが私は一番嫌いなんです」と思い切り虚勢を張ってしまいました。

結果的に採用が決まり、20年もお世話になりました。思い返すと、当時の総務部長は私の採用をバックアップしてくれたと思います。というのは社長面接の前に、「浅井社長はジャーナリストであり、出版社の社長です。自ら本を書いている人です。君は次回の面接までに浅井社長が書いた本を必ず何冊か読んで来なさい。そうすれば浅井社長がどんなことを考えているか、どんな人かが分かるはずだから」と大きなヒントをくれたのです。

これはとても大切なことです。私は今でも人に会うときは必ずその人の情報を事前に調べてから臨むようにしています。本を出している方であれば、必ず事前に購入し、一通り読んでからお会いするように心がけています。「まずは相手を知る」ということが礼儀だと思っています。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『『日本×フィリピンで実現する 究極のデュアルライフ』』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。