第1章 フィリピンの特別永住権を取得するに至るまでの軌跡

小さいころからの海外生活への憧れ

「世界中を飛び回る、英語がペラペラ話せる国際ビジネスマンになる」

これは、私が中学校の卒業文集で書いた言葉です。

ニュージーランド、韓国、香港、シンガポール、バングラデシュ、マレーシア、スイス、台湾、中国、アメリカ、パラオ、フィリピン、モンゴル、ミャンマー、合計14カ所。これらは私がこれまでに渡航した国や地域です。

英語は残念ながらあまり上達していませんが、現在年間の3分の1近くを海外で過ごしている現状を考えると、私のもくろみは「当たらずといえども遠からず」といった感じです。順風満帆とはいかないものの、おかげさまで自分が思い描いた通りの人生に近づいているとは感じています。

どういうわけか、物心ついた時から海外に対する憧れがありました。私の思春期だった1980年代、1990年代前半は海外と言えば「アメリカ」でした。マドンナ、マイケル・ジャクソン、トム・クルーズ、…など。アメリカのスーパースター達がメディアを賑わせていた時代です。

特にトム・クルーズにはハマりました。『トップガン』に始まり、『デイズ・オブ・サンダー』、『ハスラー2』、『カクテル』、『ザ・ファーム 法律事務所』、『ミッション・インポッシブル』と主要な映画作品はほぼ観ていました。

アメリカ文化にどっぷりと漬かる一方で、なぜかフランスにも憧れていました。

『勝手にしやがれ』、『軽蔑』、『気狂いピエロ』、『恋人のいる時間』、『カルメンという名の女』など数々の名作を世に輩出し、ヌーベルバーグの旗手と言われたジャン・リュック・ゴダール監督の作品や、『ボーイ・ミーツ・ガール』、『汚れた血』、『ポンヌフの恋人』の三部作が代表作品で、ジャン・リュック・ゴダールの再来と言われたレオス・カラックス監督の作品は高校生、大学生の時にほぼ全部見たと思います。

特に強く印象に残っているのはジャン・リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』です。

映画のラストシーンで主人公は自分の顔をペンキで青く塗って誤って爆死するのですが、「人間ってこんなに簡単に死んでしまうんだ、生きるとか死ぬってどういうことなんだろう」といろいろと考えさせられました。自分がかっこいいと思う生き方や自分なりの美学は、フランス映画にかなり影響されているところが大きいと感じています。

「アメリカやフランスに実際に行きたい」。

海外の映画や音楽、書籍に触れるにつれ、そんな思いが募るばかりでしたが、私の父親はサラリーマンで、経済的な余裕もないことを感じていましたので、海外に行きたいと言い出すことはできませんでした。

大学2年生になる時だったと思います。フランス留学の話をいただきました。確か国費留学だったので、実現すればコストもかかりません。母親に相談したところ、

「何でフランスなんかに留学するの。日本にいてもフランス語は勉強できるでしょう」

と猛烈に反対され、結局諦めてしまいました。今思えば、母親の意に背いてフランスに留学していれば、違った人生を歩めたかもしれないという思いはありますが、最終的には自分が決めたことですので仕方がありません。

大学を卒業して、内装施工の会社で働き始めました。会社と家とパチンコ店の往復の日々でした。家に帰る途中にパチンコ店があり、ほぼ毎日のように閉店まで打っていました。

そして、いつしか「海外で活躍する」という夢を忘れかけていました。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『『日本×フィリピンで実現する 究極のデュアルライフ』』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。