【前回の記事を読む】脳性麻痺を患う著者「人を楽しませるのが好き!」でやったこと

第1章 自身の源 ─思い出あふれる学生時代─

○生きる目的を見つけるための教訓

「ときにはこだわりを捨て、行動範囲を広げよう」

・可能であれば自分の力を使い、手動車椅子や歩行器で移動したい。それが無理ならこだわる必要はありません。電動車椅子は手動車椅子より格段に便利です。

【ハンディがある人の日常生活】

幼少期から小学生の頃、学校からの帰宅後は宿題を終わらせてガンダムのプラモデル、ルービックキューブ、チョロQなどで遊んでいました。しかし、家庭用テレビゲームが発売されると、遊びはそれに移行。マリオシリーズや野球、ゴルフゲームなどをよくやりました。もちろん、当時流行したロールプレイングゲームもですね。三国志のゲームをプレイして、中国の武将を覚えることもできました。

マンガ雑誌の『コロコロコミック』や『週刊少年ジャンプ』なども読んでいました。4コママンガにはまった時期もこの頃です。

一方で、小学4年生のときには、週1回土曜日の午後に英会話教室に通っていました。家族や幼馴染の人以外の健常者との交流で、英語のカルタ取りが楽しかったです。

やがて育ち盛りの中学生、高校生の頃になると、夕飯前にお菓子を食べ、夕飯にはおかずと山盛りのご飯を食べて、その2時間後ぐらいに兄と一緒に夜食のインスタントラーメンを食べるという食生活を送っていました。いまでは信じられないほど食欲旺盛でした。それでも不思議なことに全然太らなかったです。よく私は、「栄養は全部脳みそに行くのだ(笑)」と言っていました。

夕食後は、家族でテレビを観ました。毎週土曜日は、『クイズダービー』や『8時だヨ!全員集合』が楽しみでよく観ていました。『ザ・ベストテン』に好きな歌手が出ていて、歌のカセットテープやレコードも買いました。『アメリカ横断ウルトラクイズ』もよく観ていて、高校3年生のときに、学期末行事のクイズ大会の司会も同じ設定で演じたこともあります。

他に好きなものといえば、幼少期から自動車が好きでレースの専門誌を購入して読んでいました。当時テレビで中継されていたF1レースはビデオ録画もしていました。録画したものを何度も観るのが好きでした。

また、年に1回ほど家族とショッピングセンターへ出かけて、買い物に行くのも楽しみにしていました。中学生の頃に「いつかこういう所で働けたらいいな」と淡い夢を描いていました。たまに家族とレストランに食事に行ったり、映画館に行くこともありました。よく行ったレストランのハンバーグがおいしかったです。映画は、カンフーの映画や『ランボー』シリーズが好きでした。

夏休みなどは、担任の先生の家庭訪問があったり、学校で仲が良かった友だちの自宅に遊びに行き、一緒にテレビゲームをしたり、食事をいただいたりして楽しく過ごしました。