【前回の記事を読む】脳性麻痺の少年「普通の子供と変わらない幼少期」を過ごせたワケ

第1章 自身の源 ─思い出あふれる学生時代─

○生きる目的を見つけるための教訓

もともと周りを盛り上げるのが好きな子どもでしたが、人前で話すことや自分の考えをうまく人に伝えることが自信になりました。得意を伸ばす。基本ですね。

【勉強も一生懸命にウイットいっぱいに】

学校行事のことばかり書きましたが、もちろん、勉強もします。皆さんと同じく国語や算数など普通の教科を習いましたが、学習スピードはめちゃくちゃ遅いです。

小学部の1年生から3年生の頃は親の付き添いが必要でしたが、4年生からは親の付き添いから離れ、勉強も能力に応じた学級編成になり、理解力に障がいがなかった私は上級生と一緒に勉強することになりました。

この頃からライバルを意識するようになって勉強が楽しくなってきました。テストなどの成績も競い合っていました。理科の授業のヘチマの観察は、種をまくところから始め、花が咲き、実がなったら、化粧水をつくったり、実の中身を漂白剤に浸けて綺麗にしてタワシをつくったりしました。

できたタワシや化粧水は、文化祭などで販売もしました。体育の時間には、リハビリ訓練を受ける授業もありました。リハビリ訓練も毎年目標を決めて取り組みました。

もちろん、通常の体育の授業もあり、みんなとプレイする野球は楽しかったです。先生も一緒にプレイして盛り上がりました。

学校のクラブ活動は、オセロ、囲碁・将棋、放送クラブなどに入っていました。高校3年生のときの放送クラブでは、昼休みの休憩中にラジオのDJのようなこともやっていた思い出があります。

調子に乗ってしゃべり過ぎて、歌のイントロの長さにトークが収まらなかったこともありました(笑)。この頃から人を楽しませることが好きでした。