働いていれば五臓六腑を鷲掴みし床下に引きずり込む罵声が自分に向かうことが幾度となくある。不可能な目標設定が課せられる。何度も、達成できない。大勢がいる中での怒鳴り声が心臓をえぐる。人の責任を押し付けられる。為した貢献を横取りされる。

そんな二十代に、振り返ればおとぎ話のような時期が二度あった。二十七歳だった。二十九歳だった。それぞれの年齢の自分と同じ魂をそれぞれの彼女たちは持っていた。恋に落ちた孝一を、落としたその両手で真っすぐ天空に引き上げてくれようとしていたと勘違いしていた。

二十七歳、孝一は初めて結婚を意識した。それまで頭の片隅にもなかった。

女はわからん、難しい。なんで泣く? なんで怒る? 面倒くせぇこと抜きにちゃっちゃとやらせてくれる美人がいるといいなぁ! そんな物体に出会うことは無かった。

女という生き物への度重なる失望が自分への失望へと置き換わってしまった日、親友ができた。その新しい親友は女だった。

結婚を申し込む。いつ? どうやって? 自分のハンディを自覚していた。一緒に過ごす時間が楽しければ楽しいほど、結婚を口にできなくなった。親と同居してくれとは、それも不便な地にある庶民の一軒家に、とは言えなかった。

体の中を駆け抜ける自由な魔法は解けてしまう。燃料を失って何の人生だ。

孝一の父親は雪深い山地から中卒の集団就職でやって来た。母親も遠い海辺の集落から同じく中卒の集団就職で出てきた。父親は週一度だけの晩酌で何度となく息子に語った。会社の歓送迎会の他、外で酒を飲むことはなかった。

あのな、当時の農村漁村ではきょうだい七人は珍しくなかった。人間に一番、大切なものを産み育てていると貧乏まっしぐらだ。赤ん坊や、コメ野菜。家族みんなして腹減らしてな。いっつも、腹減らしてたんだ、想像できるか? 

今は輸入した食いもんあるから想像もできんだろ。輸出する国が輸出を止めたら、こないだみたいに戦争、飢えだ。あの頃は腹減らした若いもんがどっこにでも溢れてた。三男、四男が兵隊さんになったんだ。戦争が終わったら長男以外は村を離れてな、製造業の戦力になったんだよ。

七十年代まで、安い賃金で骨身を削って働く若いもんが無限にいたんだよ。賢くて純粋な十五歳が、毎年三月、大勢、社会に放出されていたんだ。だから先進国になれた。次世代はおかげでより豊かな生活を送れたんだ。

父親の話を無視するふりをしながら、孝一は盆に連れて行かれた、親戚が住む谷間の光景を思い出した。険しい山々の隙をうねる道は長く、うんざりした。最後の峠から谷を見下ろした。谷底で寄りそう家々に、雲海が、まさに落ちようとしていた。山々から次々と湧き上がる雲が幅広の滝になって流れ落ちる圧巻の光景だった。

ここに人が住んでいるのか。大自然は圧倒的に美しい。現代人の俺は、当時小学生だったボクは思い知らされた。ボクはここに住めない。

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