一部 世代 of 孝悌

親世代の辛苦が次世代を引き上げたから、次世代は報いなければならない。

孝一の両親にとって社会は、道徳や倫理は、時を超え場所を超え不変。世間の目、世間への不義理、という言い回しはまだ生きていた。一九七〇年にやっと手に入れたテレビが映し出すあさましい、身勝手な人間は現実ではない。そう信じなければ十五歳からの、週六日、一日十二時間労働が無駄になる。

親孝行は当たり前。部活を終えて腹減らしウチに戻れば、美味いメシがあった。泥まみれのユニフォームも汗だくのシャツも、翌朝には清潔になっていたし、タオルを顔に当てて臭かったことは一度もなかった。親にとって生きがいである息子の結婚は、自分が是とする息子の幸せのため、自分の老後のため、何より社会通念のため。親の期待に応えないことなど微塵も思わないでいた。

弟たちは気楽だな。俺の名前、親孝行な長男。親の期待、背負ってる。ナオミに、その「ヨメ」になって欲しいとは微塵も思わなかった。一緒に笑えばもっと楽しくなった。二人とも大口広げて笑った。同じ場面で鼻水を啜った。ストレスは話せば消えた。ナオミも同じ気持ちと信じていた。

突然連絡が途絶えた後、孝一はナオミの社員寮あたりをうろついた。夜遅くに、休みの日に。ナオミも孝一も、自分の電話を持てる経済状態ではなかった。

一年半、孝一は煩悶し続け虚ろな日々を送った。粉々に砕けた孝一の視界に現れたのが孝子だった。灰の中に不死鳥が、フェニックスが蘇った。

配達先の事務所にいる彼女は別世界の住人。行きの車中、会ったらああ言おう、こう言おう、と楽しい夢想に浸るようになった。帰りの車中、何もできない自分への情けなさと、同じ空気が肺の中にある喜びが、胸の中を行ったり来たり走り回っていた。珍しい暴風雪の日、大事件が起こった。