一九九九年 孝子@賃貸マンション

両親が住む場所は、家でもなくアパートでもない。寮の管理人。浅いため息が漏れた。その建物の入り口近くにある僅かなスペースで寝起きしている。食事は寮に住む人のために母が作る料理の一部。その仕事も、失うことになる。

兄ちゃんは現地採用だから戻ってきてくれそうにもない。でも転職を考えるかもしれない。

先々週、孝一が念願のプロポーズをしてくれたのに。心は舞い上がり、体は重力を感じなかった。こぶしを突き上げて垂直ジャンプした。

先週、「オフクロに紹介したい」って言ってくれた。

「孝子のウチにも連れて行ってほしいな」

親のことを話したくない理由は住んでいる場所だけじゃない。

返せない額の借金を抱える親のことをどうしても、言えない。裁判所に自己破産の申請をさせたけど、免債不許可になった。

孝一は真摯に対応してくれるだろう。でも払えるはずもないし、孝一に私の親のお金のことで迷惑をかけるわけにはいかない。それでも、将来、相続が起これば放棄すればすむ。でもそれがいつになるのか。私は親の死を待つろくでなしじゃない。

親から離れて幸せにはなれないもの? 平凡な、小さな幸せを分け合う家族が欲しいだけ。贅沢は欲しがってないよ、神様。

孝子は孝一に出会う前、人生設計を熟慮していた。そのうちに生物としての生殖のタイムリミットが無情に近づいた。先進国が少子化に突き進むのは当然なのかもしれない、と孝子は身に染みた。

思ったより花の命は短かった。どうもがいても、短い。女としての商品価値という卑屈な概念に苦しめられた。内面の充実が表面に出るんだから凛としていればいい、と自分に言い聞かせた。それでも平気になれなかった。

四十が見える年齢、孝一に出会った。最後のチャンスかもしれない。手のひらの中にある砂時計、ガラスの中で砂が落ちていく。青い潮が引いていく。秘密の場所に。

木枯らしが吹き始めた。

決めた。私からは連絡しない。電話をもらっても出ない。

大きな息が洩れた。

一人で産んで一人で育てる。初めて目が合った瞬間。忘れられない、涼しげな瞳が私に固定されている。初めて外で会う約束をした日。この思い出だけで、残りの人生を過ごせる。私が産むベイビーはきっと男の子で、パパそっくりになる。たれ目でね。誰からも溺愛されて育つ。

おなかをそっと撫でてみる。

やってみせる、育児も、老親介護も。まずは役所の窓口に行ってみよう。母子家庭の同僚に聞いてみよう。育休について調べなきゃ。

育休を取ると昇給が遅れることも結婚を先延ばしにしてきた理由の一つだった。

父の借金を私が返すつもりはない。そのときが来れば相続放棄をする。それまでは私名義のまともな住居を手に入れて住まわせてあげる、と二十代には決めていた。

思うような人生を築くのは、仕事よりはるかに困難だった。親と同居してくれそうな人は見当たらなかった。仕事と家事の両立に協力してくれそうな男性と出会うことはできなかった。どうやって見分ければいいのか、わからない。どうやって協力を求めればいいのか、わからない。

二十代、三十代、日進月歩の知識や技術を習得できるはずの年月を、我が子に向き合って費やした人を無知無能と決めつける人がどれだけ多いか。カネを稼ぐのはオレだ、という理由で、妻を罵倒する人を目撃したこともある。罵倒までいかなくても、蔑みのトーンを含ませる人は同性にさえ溢れている。

子どもには一千万円とか二千万円とか、かかるらしい。両親に家を買ってあげることは諦めるしかない。住む場所は別に考えよう。

出産に必要な物をリストアップし予算を立てる。そして掛ける、上がることが予定されている消費税率。消費税導入のときには、育児世代への幸せ搾取だと同僚や上司に同情した。その上司は言った。

「税金が上がっても大事なのは払った税金がどう使われるか、です。将来、子どもが努力さえすれば親よりいい生活ができる、と思えば我慢できます。どっかの国みたいに金持ちに生まれなければ質のいい教育を受けれないとか、高い収入の職には就けないとか、そんなことになれば革命を起こしますよ! 少なくとも暴動」

親切で知的な上司だったから印象に残った。

高齢者介護の相談窓口では沢山の支援を知った。家事さえしてもらえる! 育児世代には一人親のためにさえそんな援助はない。