脳が増大したホモ・エレクトス

ヒトの脳容積変化を図三に示しますが、脳容積の増加は一定の速度だったわけではなく、ホモ・エレクトスの時代に急増していることがわかります。

脳容積はアファール猿人(四〇〇立方センチメートル)のときはチンパンジーとほとんど変わりませんでしたが、ホモ・ハビリスのときに六〇〇~七〇〇立方センチメートルになり(現代人類の五〇%)、ホモ・エレクトスのときに九五〇~一一〇〇立方センチメートルになり、アファール猿人のときから三倍近く、現代人類(一四五〇立方センチメートル)の七五%程度になっていました。

ホモ・エレクトスの雌雄の身長の差は、わずか二五%しかありませんでした。これは、アウストラロピテクスの身長はオスがメスの二倍もあったことを考えますと(現生のゴリラも二倍あります)、わずかな差になりました。

ホモ・エレクトスは、性的平等へと大きく踏み出していて、今もオスとメスのヒエラルキーに分かれているチンパンジーの社会から、男女の絆が特徴のヒトらしい社会組織に移行したことを示しているかもしれません(後述する家族の成立を示唆します)。 

人類の第一次出アフリカ(ユーラシアへの拡散)

一九九一年から九九年にかけて、グルジア、ドイツ、フランス、アメリカの共同チームはグルジア(現在はジョージア。黒海東岸)南部のドマニシ遺跡で一八〇~一七五万年前の二個の頭骨を含む古い人骨化石を発見しました。

原始的なオルドヴァイ型の礫れっ器きも埋まっていました。これによって、人類は、ホモ・エレクトスの最初期段階ではじめての出アフリカを果たしていたことがわかりました。

グルジア(ジョージア)はコーカサス地方に位置しますので、おそらく人類は、まず西アジアに進出し、さらに北進して黒海東岸に達したのでしょう。これが広大なユーラシアへの第一歩だったと考えられます。

その後、そのホモ・エレクトスがどのようにユーラシアに分散していったかは、まだ、必ずしも明確ではありませんが、はっきりしているのは、インドネシアのジャワ島でジャワ原人、中国の北京近くの周しゅう口こう店てんで北京原人、ヨーロッパでもホモ・エレクトスが発見されているという事実があります。