平和主義とは

あの時代、平和主義で国内がまとまっていたとしたら、列強は日本を自分のものにしてしまおうなどとは思わなかったのだろうか。

平和な時代と言われる現代においてもそうだが、国際関係というのは、常に甘いものではない。日本は平和憲法を大事にする国だから、襲うのは止めておこうと考えてくれるだろうか。その考えも多分正しいとは言えないだろう。

例えば、アメリカの銃の問題で考えてみよう。アメリカでは護身用に一般市民が銃を所持することが認められている。実際に、護身のため銃の引き金を引いたことを主張して、何ら武器を持っていない人を打ち殺して無罪になったケースは枚挙に暇がない。

もう随分前の話になるが、日本人の高校生が留学中に、アメリカで撃ち殺される事件があった。

裁判では、結局自己防衛だったという主張が認められて加害者は無罪となっている。日本での裁判であれば、決してそんな判決は出るはずもない。あまりにも公平性を欠いたアメリカの判決であった。

しかし昨今の世界から流れてくるニュースを見ると、このアメリカの論理と同じく自己防衛だと主張して、その責任を相手に押し付けるという信じられない論理がまかり通っていることも事実である。

「信じられない」と日本人の私達は言うが、アメリカでは、おそらく「信じられる。だから防衛のために武装しよう」と言う主張になるのかもしれない。しかもそう主張することが当然だから、「やつらは酷い奴らだ」と言われないように、予め自己防御の論理を見事に作り出して、自らを非難する相手を封じ込めようと智慧を巡らしていると言ってもよい。

残念ながら大方の日本人も日本の政府も、そうした理論構築を歴史的に蓄えて来なかった。だから、その手を使うことは実に弱く、下手くそである。

では、なにがなんでも平和主義を念仏のように唱えていたらよいのだろうか?やられても仕方がないと諦めるつもりなのだろうか?おそらく永遠にその答えを見出すことはできないかもしれない。

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