第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

皇室分居論

今年は今上天皇が譲位改元された画期的・エポックメイキングな年である。私自身は、自発的退位は昭和天皇にしていただきたかった。例えば前回の東京五輪閉会式直後あたりにである。

「我が国はこれで国際社会に復帰できた。先の大戦で皇国のために『天皇陛下万歳』と死んだ4百万人の民の霊を慰めるため、また中国や朝鮮半島、比国、東南アジア諸国の多大な迷惑をかけた人々のためにも」と発言されてから電撃退位されてはどうかと考えていた。

皇室外交で当時まだ存命中の毛沢東や周恩来、李承晩などと膝を交えて話し合っていれば、今のような戦後処理の問題が燻り続け、蒸し返され、再燃することを防げたのではと思っている。甘いかもしれないが、首相とは格や重みが違う。

また、今は上皇となられた平成天皇がよく訪れられた沖縄、私の父が戦死したフィリピンやパラオ、硫黄島や小笠原諸島にはもう少し早く先の天皇にも訪れていただきたかった。もう済んでしまったことは仕方ないが、今後の皇室の在り方について非礼とは思いつつ建言させていただきたい。

また、昭和天皇に対しては大変嬉しい思い出もある。陛下の相撲好きは有名であったが、天覧相撲での一番の思い出を尋ねられ「富士桜と麒麟児のあの熱戦」と話された。かの痛み分け寸前の大熱戦のことである。実は富士桜関とは甲府で家が近所だったという製薬会社の友人を通じ、時々酒食を共にする間柄であった。

大阪場所へもよく観に行ったが、私が観戦するとほぼ負け。週休二日でなかったので、場所中3日ある日曜日にしかいけない。「先生、謝ってきました。両手で」といつも冗談で報告。中日は好不調が表れ、千秋楽はタニマチが幅を利かすので、初日に行くことが多かった。初日は横綱・大関戦が多く、真っ向勝負でバッタリはたき落とされることが多かったのである。

ついでに、甲府商業出身の開幕13連勝の新人王で小天狗と呼ばれ後に巨人軍監督、その後参議院議員になった堀内恒夫氏とも一緒に飯を食うことが時々ある。彼も同じ町内会であったらしい。

大阪にも天覧相撲でお呼びしてお越しいただきたいと親方衆や理事の方々にお願いしていたが、これは実現できなかった。東京場所以外の大阪や名古屋、福岡にも3年に1回位お越しいただけたら良かったのでは、近い将来には是非にと願っている。警備の問題や公務御多忙は重々承知の上であるが。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和の改新 日本列島再輝論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。