「池添さん、そういえば新町のジュリア鞄店の末っ子さんやったね。これから行く東新町商店街の真ん中辺にあるけんど、今は若いしがやいよったんちゃうかな。池添さんの兄さん」

運転手が徳島中央郵便局を過ぎる辺りで、懐かしく思い出すように遠い目で語った。

「確か、鞄だけではなく、靴も扱ってますよね。主に、神戸から仕入れた革靴を」

高梨は麻里那から聞いていた実家の店の話を思い出した。彼女が研修医時代から付き合い始め、その当初に聞いた話だ。いまだに覚えている自分に驚くとともに、嫌気もさす。

「うちは医者の家系じゃなくて、鞄屋さんなんです。靴も売ってます。商店街の真ん中で、祖父が始めた店です。いつも店番の父の邪魔をしては、向かいのタバコ屋に行っておいでと言われ、そこのおばあちゃんと長話をして、ブルーベリーガムを買って帰っていたんですよ。あの頃、新町は活気がありました。中学生になってからは、一人で商店街の中の映画館に行きましたよ。アニメ映画ばっかり」

付き合い始めの新鮮さで、故郷を語る麻里那の話を高梨は高揚した気持ちで聞いていた。一緒に横浜中華街に行った時も、麻里那は天津甘栗を見て、東新町商店街の露店で売っていたのと似てる、と笑顔を見せたものだ。

「お客さん、よう知ってますね」

運転手は屈託なく笑う。それほどまで夢中だった麻里那に、高梨はひどいことばかりした。合コンで知り合ったばかりの女性と麻里那が高梨のマンションのエントランスで鉢合わせしたこともあった。留学に行くことを告げず、留学先からメールで簡単に「今アメリカ。2年は戻らない」と告げただけのこともあった。麻里那はその都度、不眠症になったりげっそり痩せたりしたが、それでも高梨から離れようとしなかった。

そして、そんな日々が12年続いた。麻里那は外科医として名を馳せていったが、それは仕事に打ち込める独身であったからだ。高梨に繋ぎ留められながら。

「たぬきがいますね」

高梨は、東新町商店街の前の古ぼけた茶色の三体のたぬきの像に気付いた。

「たぬき合戦が有名でね。秋には狸まつりもあるんですよ。たぬきは人を化かすけど、化かし方はかわいいもんです。どっかの誰かが池添さんにつく、嘘と違ってね。あんた、残念ながら嘘つきなんでしょ」

どういう意味ですか、と問う高梨を残して、タクシーは軽やかに秋田町方面に走り去った。高梨はタクシーが走り去ったあとも、その方向を呆然と見つめ、しばらく動けなかった。

「どうしてタクシー運転手が知ってるんだよ」そうつぶやく高梨は、わずかに震えていた。高梨は別の女性との同時進行の交際がばれた際、麻里那に確かに言ったのだ。

「残念ながら、俺は嘘つきだよ」と。